犯罪創作
もう7月。
毎年梅雨仕様のトップ画像にしていましたが、今年はそれを忘れたまま梅雨が明けてしまいました。
さてさて、季節は7月新アニメの時期ですね。
私はFree!3期とハッピーシュガーライフを見ます!
Free!は私が女性向けの流行ジャンルでハマれた数少ないケースです。
凛ちゃん受けと怜ちゃん攻めが好きって話は過去に何度かしてるので割愛。
もう一つのハッピーシュガーライフは……百合?サイコサスペンス?
男遊びの激しいJKさとうちゃんが初めて見つけた愛は幼女しおちゃんで、二人は仲良く暮らしています。
しかし街中には行方不明のしおちゃんを探す貼り紙。
二人の住むマンションの封印された一室には元家主の死体袋。
…というゆるふわ百合とダーク犯罪の混ざったお話です ฅ(*ΦωΦ*)ฅ
この話は『デスノート』とすごく近い感覚がします。
主人公は「よりよい世界」だとか「愛」だとか、自分の信じた目的のためなら手段を一切選ばないっていうイッちゃってる人。
もう表情からして狂気に満ちているので、読者にも「こいつはやばいぞ」ってビシバシ伝わってるんですよね。
それなのに、いざ主人公が何かバレそうなピンチになるとドキドキハラハラして、うまく逃げられるように願ってしまう。
「物語の最後にはやはり捕まってしまうのだろうか」「いや、この狂人は捕まるべきだ」っていう葛藤なんかもあって。
このお話で特に葛藤するのは、しおちゃんを探してるあさひ君というショタっ子の存在です。
『デスノート』におけるLのような、主人公たちを追う役割を持っています。
この作品における良心と言っても過言ではない…!
あさひ君はしおちゃんのお兄ちゃんで、目つき悪いフード被ったショタなんだけど、もうとにかくかわいそうな人生でなんとか幸せにしてあげたくなるのです( p′︵‵。)
でもしおちゃんがあさひ君の元に行くということは、主人公さとちゃんとしおちゃんの百合カプ的にはマズイという(´ェ`;)三(;´ェ`)
どっちを応援すればいいのか百合とショタの間で揺さぶられます。
もういっそのこと三人で暮らして…!
このお話、犯罪のスリルがメインで百合はおまけかと思いきや、愛についてもちゃんと描かれてるのがポイント高いです。
アニメ開始前でこれから多くの人に読んでもらいたい!という段階なのでネタバレは避けますが、物語の途中で主人公さとちゃんがこんなことを考えるんです。
「愛するために生きて死ねたら?」
「生きるために愛するんじゃなくて」
ここを読んだ瞬間、これって私がBLで書きたいことと同じだ〜ってすごく共感しました。
経済的な理由でもなく、世間体的な理由でもなく、繁殖の理由でもない、生存本能と完全に切り離された純粋な愛って現実ではなかなか難しい。
だからこそ私は「経済的に自立している」男二人が「同性愛差別の残る社会の中で」「子供ができなくてもいいから」一緒にいようとするお話に惹かれるのであって、それは受けを普通の女性にしてしまったら書けないものなんです。
クレイジーなサイコ犯罪ものとして読んでいたのに、ふっと恋愛ものを読んでいる気持ちに引き戻される瞬間がこの作品の中には確かにあります。
…………しかしこのさとちゃんは人を殺しているのです!!(葛藤が振出しに戻る)
今ならamazonでもebjでも多分どこでも電子書籍版が1巻無料で読めますので、JKと幼女の百合でもいけるって方は是非…。
こういう犯罪者主人公タイプの作品は往々にして「犯罪助長」系の批判を受けるんですが、『デスノート』や『ハッピーシュガーライフ』は言葉だけではなく絵でも「主人公は頭おかしいぞ・狂ってるぞ」って十分示すだけの”表現力”や”描写力”がある。
良い子は真似しないでね!という注意書き不要のヤバオーラ。
受け手を納得させる・批判を押し返すためには、この”表現力”がまさに武器になるんだと思います。
もしもその武器の強さが不十分な場合、相手の刃は自分の懐に入ってくる。
その時の防具としてエクスキューズをどれだけ用意できるか。
なぜその表現が必要で、何の意図があって、どんな配慮がしてあって、どんな注意書きがしてあって、どんな覚悟で…そういう弁明の盾をいくつ並べられるかによって、作品が逃げられるか殺されるかが決まってしまう。
少し前に『幸色のワンルーム』という漫画のドラマ化が発表され、つい最近関東圏での放送中止が決まりました。
なぜなのかと考えると、武器も防具も「そんな装備で大丈夫か?」状態だったからに他ならないと思います。
中学生の女の子が大学生の男に誘拐・軟禁されていた事件があり、女の子は家出をして彼氏の家に転がり込んでいただけなのでは・鍵が開いていたのに逃げなかったのは合意の同棲なのでは、といった心ない憶測が飛び交ったことがありました。
その半年後に「世の中にはいろんな人がいるという話」という作者コメント付きで「中学生女子がストーカーだったお兄さんに誘拐されて仲良さそうに同棲している」という内容の漫画がTwitterに投稿されました。
それが現在の『幸色のワンルーム』の原型です。
この時点で発表タイミングも作品に付随したコメントも、防具になるどころかHPがどんどん減っていく血塗られた盾感満載です。
意図的に血塗られた盾を装備して批判上等!ならとことん戦えばいいんですけど、どうやらそういう覚悟ではなかったらしいことが後からの作者さんの発言でチラホラ見えている。
TwitterでもPixivでもそこそここのお話は読めますので、内容について見てみるとですね、なるほど批判を誘うポイントがいくつか見えてきます。
『万引き家族』や『ハッピーシュガーライフ』も誘拐をしているのになんで『幸色』だけ?という問いの答えは、作品の表現の違いを考えるとそこそこ理解できました。
珍しくかなり率直に感じたことを書くので、『幸色』のファンです、という方は以下読まない方がいいかもしれません。
まずこの作品、誘拐という犯罪の”是非”の内、是とする側の根拠(虐待いじめ性暴力)が多く、非とする側の描写が薄いという偏りが第一印象でした。
一人くらい悪人じゃない知り合いキャラがいて、その人が帰りを待ってるよ〜とか強調されていれば、あるいは誘拐以外の正当な手段で暴力から保護された別キャラを出していれば、誘拐=間違いというメッセージを注意書きではない形で作品内に埋め込むことができるのですが、女の子の周囲はなんかもうガチで徹底的に悪人と絶望が配置されてまして、誘拐しか道がなかったのだと主張してくる。
じゃあ作品内部でそうしたいなら、作品の外で注意書きを足すという方法もありますが、その辺もお断りの模様?
さらに表情による感情表現があまりない。
片方はマスクを付けていて、片方は心が死んでて無表情か笑顔って設定は、表現上大きなハンデになってます。
「自分は犯罪者だ」「私たちの関係はおかしい」と何度”言葉”で表現しても、言葉以外のストーリーや絵は「この人たちおかしいんですよ」と語ってくれない感じ。
この武器(表現)だと少なくともノーダメではやり過ごせないから何か防具(配慮や覚悟)は必要だな、でも防具があればまあ大丈夫だろう、というのが正直なところです。
ところが、ドラマ化決定後も公式ツイッターの宣伝方法他がさらにエクスキューズの余地をなくしていくやり方で…守る気ゼロの丸裸でした。
たくさんの「ない」が重なった結果、まるで全てのセーフティネットの網目を奇跡的にすり抜けるようにして放送中止まで落ちていった作品だなと思います。
逆に言うと、どこか一個でも「ある」状態だったらこんなことにはならなかったかもしれない。
虐待やいじめ被害者への注意書きがあったなら。
ドラマの製作者や演者に社会問題を扱っている意識があったなら。
批判を受け止めるだけの覚悟がドラマ制作陣にあったなら。etc.
どれか一個用意するなら、一番やりやすいのは「注意書きをすること」だったんじゃないかなあ。
後から付け足せばいいんだから、表現の内容を変えるわけじゃないんだし。
一番批判されるべきは、「批判があるのも分かった上でこれを人々に絶対届けたいんだ」という強い意志や意図が送り手側にないところですけどね”Σ⊂(☉ω☉∩)
ドラマが見られなくなって怒ってるファンは、作品への批判者に怒りを向けるよりも、作品を守るためにやれる回避策を何もやらなかった作者やドラマ制作サイドに怒った方が近道。
かなり残酷ないじめと自殺問題を取り扱った『13の理由』という海外ドラマも、地上波ではなくNetflixの配信方式にして、「自殺助長」という批判を受けて相談や電話を促す警告ビデオを流すことにしてました。
製作陣が「このドラマを絶対世に出すんだ」という意思を持っているからこそ、地上波ではなく配信という手段で、批判をきちんと受け止めた対応ができるんですよね。
そういえばオメガバースの長編を書いている途中、私も悩むことがありました。
ホロコーストや地下鉄サリン事件を想像しながら主人公の両親が死ぬ事件を書いていたら、相模原の障害者施設で大量殺人事件が起きてしまったので…。
どうしようかな、時間を空けようかな、というようなことを、当時ブログにも書いたような気がします。
残念なことに、攻めた題材でも説得力を持って書けるだけの”表現力”が自分に十分あるわけではない(-ε-;)
だからかなり慎重な描写にしました。
差別主義者や犯人は悪である、逆にそれを悪でないとすることはモヤモヤする。
そんな被害者視点の認識が現実となるべくズレないように。
我ながら守りに徹したと思います。
BLやオメガバースというファンタジー感にも救われました。
私がいつもそこそこ細かく注意書きをするのも同じ理由です。
どんな要注意な内容でも面白ければ黙らせることができる、でも自分の話はそこまで力を持っていないから先制防御を固めることにしています。
いつか批判上等の精神で攻めた話を書いてみたい気持ちもありますが…。
倫理的に問題があってもうまくいってる作品と、そのせいでうまくいかなかった作品。
それを比べて何が違ったのか考えるのは、自分の創作にあたってとても有意義です。
最近の『幸色のワンルーム』や『二度目の人生を異世界で』はまさに他山の石。
意図しない受け取り方をする他人を責めるより、自分の方がサクッと力を付けるなり注意書きを足すなりしたほうが手っ取り早いんだなあと再確認しました。
他人の考えを変えるより、自分の行動を変える方がずっと簡単だし、絶対変えたくない譲りたくない部分を守ることにも繋がるから。
創作物を世に出すなら批判があるのも当たり前、自分の創作物は自分で守れるように武器と防具を日々お手入れしないとですね。
そしてハッピーシュガーライフが無事にアニメ完走できますように…。