最初の恋、最後の恋 4 | fDtD    
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 ベッドで眠る二神の整った顔には、朝日によって綺麗な陰影ができている。中々起きてこない彼を起こしに来たはずが、うっかり見惚れてしまうほどに。そういえば彼をこうして泊めるのは、彼への愛情を自覚してから初めてのことだ。無防備に眠る彼を見ながら、真嶋は感慨とも言える何かを感じていた。
 こんな風にずっと見ていたら変態みたいじゃないか。
 真嶋がちょうどそう思った時、二神の目がぱちりと開いた。
「ふ、二神さん? あの、今ちょうど起こそうとしていたところで——」
 真嶋は慌てて言い繕う。二神は寝ぼけた様子もなく、むくりと上半身を起こした。
「真嶋さんがこの部屋に来てからしばらく経ってるけど」
「ね、寝てたんじゃ……」
「目を瞑ってるからといって、意識や耳が働いてないとは限らないよね」
 二神はごしごしと目をこすってから、真嶋を見上げた。
「俺のこと見てた?」
「いや、あの……」
「何でそんな慌ててるの? あ、もしかして、俺のこと襲おうとしてたのかも。真嶋さん、ケダモノー」
「ち、ちが、違います!」
 あまりに必死に否定しようとしたせいで、真嶋は舌を噛んだ。
「うん、冗談。真嶋さん、彼女すらいないのにそんなことできるわけないって」
 誤解は解けたようだが、それはそれで聞き捨てならない台詞だった。
「どうして彼女がいないことと関係があるんですか。やろうと思えば僕にもできますよ」
 真嶋は二神の肩を掴むと、彼の身体をベッドに押し倒した。先程まで寝ていた枕に再び頭を戻されて、二神は目を白黒させている。一方真嶋は、彼の顔をじっと見下ろしてから、この先のことを考えて固まってしまった。
 僕は彼をどうしたいのだろう? こうして押さえつけて、それから? 小説や映画で見るようなセックスを現実に彼としたいのか? 彼が嫌がったとしても?
 彼の綺麗な瞳を目の前にして考えていると、鼓動が早くなり、Tシャツの下で冷汗が背中を伝った。
「えっと……真嶋さん? あの、もうよく分かったから」
 その声で我に返った真嶋は、慌てて彼から身体を離した。彼は『よく分かった』と言ったが、真嶋は結局彼の言う通り何もできなかったのだ。全てが恥ずかしくなった真嶋は、二神の顔をまともに見ることができず、急いでその場を立ち去ろうとした。
「あの、真嶋さん……」
「朝食、作っておきます」
 真嶋は二神の言葉を遮って部屋を出た。誰かを好きになったその先にあるもの——自分が彼に何をしたいのか、その願望の一部を垣間見たような気がするが、真嶋はそこから目を逸らす。
 キッチンへ向かおうとしたところで、テーブル上の自分の携帯を何とはなしに見てみると、誰かからの不在着信が入っていた。発信元は岩谷——大学時代同じ研究室だった友人だ。
 電話をしながらでも朝食は用意できる。少し考えてからかけ直すと、彼はすぐに電話に出た。
「もしもし、真嶋だけど。ごめん、さっき電話出られなかった」
『ああ、いや、大した用じゃないんだけどさ、もうすぐ研究室のOBOG集めて同窓会したいって教授が言ってるんだって』
「先生前からそうやってあれがしたい、これがしたいって言うばっかりだ」
 真嶋は呆れながら、空いた片手で冷蔵庫を開けた。
『今回は本気みたいで、D1になった畑中が企画やらされてるんだと』
「へえ、畑中君はドクターに進学したんだ」
『そうそう。それであいつからどの時期なら人が集まりそうか聞かれてるんだけど——』
「少なくとも僕は今忙しい。人によってバラバラなんだから、向こうで決めてもらって出欠取るしかないんじゃないか?」
 そう言いながら卵のパックを取り出して冷蔵庫を閉めたところで、ふと背後から視線を感じた。振り返ると、二神がじっとこちらを見ている。電話の向こうで岩谷が『そうだよなあ』と唸っていたが、真嶋はどこか恨めし気な二神に気を取られていた。
「悪いけどちょっと電話切る。詳細決まったら今後の連絡はメーリングリストでって言っておいて」
 そう言って真嶋が通話を終わらせると、部屋の中は急に静かになった。
「真嶋さん、やっぱり普通に喋れるんじゃん」
「……え?」
「敬語」
 そこでやっと、真嶋は二神が何を言いたいのか理解した。
「大学時代の友人ですから」
「じゃあ今の会社の友達にはどういう話し方してるの?」
 真嶋は反射的に親しくしている同期を思い浮かべた。
「えっと、敬語ですね」
 学生と社会人の境目で、真嶋のデフォルトは無意識に変わっていた。別にお堅い会社でもなければ、二神のようにフランクな話し方をする社員も多くいるのに、真嶋はなぜか自然とこうなっていた。
「……ふーん」
 まだどこか不満そうな二神に首を傾げてから、真嶋はキッチンへ戻った。
「食べたらすぐ会社行きますか?」
 真嶋がボウルに卵を割りながら聞く。
「その前にちょっと買い物行きたい」
 背後から椅子を引く音が聞こえ、二神がダイニングのテーブルについたことを悟る。
「買い物って?」
「今日会社に着てくシャツとか、真嶋さんの家に置いといてもらう服とか」
「僕のを貸しますけど」
「先週借りた分も返せてないのに、いつまでもそれじゃ悪いよ。それに、真嶋さんの服サイズ大きいし……身長そこまで違わないのに」
 二神がぶちぶちと呟く。
「二神さんが痩せすぎてるんです」
「俺そんなガリガリじゃないって。真嶋さんが弓道で鍛えすぎてるんだよ」
 そこで真嶋は、ボウルで卵をかき回していた手をぴたりと止めた。
「……僕、二神さんに弓道の話したことありましたっけ?」
「それはほら、できる上司なら部下のこと調べてて当たり前でしょ」
 一体どこまで彼は僕のことを知っているんだろう。
 真嶋は、自分の気持ちまでいつか見透かされてしまうような気がした。
「とにかく、駅の近くに紳士服売ってるとこあったよね。あそこ行こう」
「いいですよ」
 フライパンの上に卵を流した瞬間、ジュワッと大きな音が響く。それに紛れて、後ろにいる二神が「やった」と呟く声が聞こえた気がした。


***

「仕事に着ていくシャツにどうして柄が必要なのか、僕には分かりません」
 会計を済ませた二神と共に店を後にしながら、真嶋はそう漏らした。
「真嶋さんっていっつも白いシャツだよね。俺からしたらそれこそつまんないよ」
 二神は午前中だけと言って、昨日と同じ服を着ているが、それもやはり白地に薄い青でストライプの入ったシャツだ。一方真嶋は私服にも関わらず、黒のサマーセーターとジーンズという、二神よりも地味な出で立ちだった。
「つまらなくてすみません」
「何で謝るの? 真嶋さんはいいよね、服を選ばなくてもそれなりに様になって」
 服を選ぶ必要がないほど素材がいいのは二神の方だ、と真嶋は思う。それに何より、自分が様になっているなど、生まれてこのかた思ったこともなかった。信号が赤になった横断歩道で足を止め、真嶋はふと傍にある駅ビルに目を留める。
「そういうのは……ああいう人のことを言うんじゃないですか?」
 真嶋がそう言いながら指差したのは、駅ビルにかかっている大きな看板のモデルだった。スタイルだけでなく、その顔を見てから、もしかしたらこのモデルは日本人ではないかもしれないなと考える。
「あ、あれ俺たちの大学の後輩だよ」
「……僕と二神さんはそもそも同じ大学だったんですか?」
 モデルの話よりも、真嶋は彼の言った「俺たち」の部分に驚いた。
「え、真嶋さん知らなかったの?」
「出身大学の話なんてしたことなかったので」
 この会社で同じ大学出身など珍しくもない——自分は石川にそう言ったくせに、真嶋はなぜかこれを特別なことのように思っていた。
「もし、俺たちが大学の時から知り合ってたら……今の真嶋さんと俺は敬語なんて使わずに、普通の友達みたいに話せてたのかな」
「友達?」
「え、そこ? 土曜に一緒に買い物に来てるんだったら、俺たちもう友達でしょ」
 ああ、二神さんは僕のことを友達だと思ってるのか。
 その肩書は真嶋にとって思ってもみないことだった。自分と彼はいつまでも上司と部下だと思っていたし、ほんの1週間ほど前に彼への気持ちを自覚してからは、次のステップは恋人だと思っていたのだ。
 早く自分の気持ちを伝えなければと焦っていた真嶋は、どこか緊張が解けたような気がした。この友達という関係も悪くない。今はまだこの距離を保ったまま、ゆっくりと関係を育てていけばいいのだ。
「真嶋さん?」
 突然黙って怪しまれたのかもしれないと思い、真嶋は飛び上るほど驚いた。
「あ、はい、あの、友達です」
「じゃなくて、信号、青だよ」
 言われてみれば、周りの人は既に歩き始めていた。
「早く早く、この後まだ俺の私服も買うんだから」
 二神に腕を引かれて真嶋も歩き出す。彼はこれを友達の関係だと言ったが、もしも恋人になったら、これはデートという名称以外で何がどう変わるのだろうか——真嶋はぼんやりとそんなことを考えた。


***

 土曜夕方のスーパーは家族連れで賑わっている。そんな中、仕事帰りといった風体の男二人組はほんの少し周囲から浮いていた。
「この時間なら惣菜が安くなってるかもしれません」
「えー、お惣菜?」
「文句があるなら二神さんが夕食を作ったらどうですか?」
 午後だけとはいえ仕事をしてきて、今からさらに夕食を丸々作るつもりはない。
「そもそも、二神さんは料理とか普段どうしてるんです?」
「……コンビニだけど」
 二神は少しむくれたようにそう言った。
「だったらスーパーで惣菜を買うのと何も変わらないですよ。むしろスーパーの方が安いです」
「つ、作ろうと思えば俺だって作れるし!」
 少しムキになったようにそう言うと、二神は真嶋の持っていたカゴを奪い取った。
「ほら、真嶋さん何が食べたい?」
「別に無理しなくても——」
「あ、俺の作るご飯なんて食べたくないんでしょ」
「そんなんじゃありません。作ってくれると言うなら何でも食べますよ」
 本音を言うと、真嶋は二神の作る料理に興味があった。
「じゃあ今日は和食にしよう。真嶋さんって和食好きそうだし」
 二神が言うことは当たっている。真嶋はまたしても彼に心を見通された気がした。そんな真嶋を置いて、二神はさっさと売り場を歩き出す。
「サカナ、サカナ〜」
「あんまり高いもの買わないでくださいよ」
「食費くらい俺が出すから何でもいいの」
 楽しそうにそう言った二神を監視するように、真嶋は彼の後に続いた。周囲には小さな子供を連れた夫婦や、いかにも主婦らしい女性たち。家事などとは程遠い見た目の二神は、そんな人々の視線を集めている。そんな彼が真嶋に向かって手招きをするせいで、真嶋まで視線を感じる羽目になった。
「ねえ、真嶋さん、これにしようよ」
 彼が持っているパックには鮭の切り身が四切れ並んでいた。
「二人でそんなに食べられないですよ」
「今夜二つ食べて、明日の朝にまた二つ食べればいーじゃん」
 何気ない一言だったが、それは即ち、彼は今夜も自分と過ごして明日の朝を共に迎えるということだ。それはまるで、友達から恋人の段階を一気に飛ばして、家族か夫婦にでもなったような気がした。
「いいですよ」
 真嶋が了承すると、二神は手の中のパックをいそいそとカゴに入れた。
「よし、KIRIMIちゃんゲット」
「どうして切り身に『ちゃん』を付けるんですか」
 歩きながら真嶋は首を傾げる。
「そういうキャラクターがいるから」
「冗談……ではなさそうですね」
「うん、冗談じゃなくホント。よく分かったね」
 彼は満足気にそう言ってから、次の食材を探しに歩き出す。真嶋は彼の背中を見ながら、こんな風に彼と毎日過ごせればいいのにと願った。

 そうこうして出来上がった二神の料理は、極端に下手でもなく、かといって特別おいしいわけでもなく、至って普通の出来だった。
「ごちそうさまでした」
 真嶋が食べ終わった時、二神はまだ半分ほどしか食べていなかった。食事中に何度も「おいしい?」と真嶋に確認をしていたのが原因だ。
「総合で何点くらいだった?」
 向かいに座っていた二神は、急ぎ気味に食事をしながらそう尋ねた。
「70点くらい、です」
「うわ、びみょー」
「料理をあまりしないにしては、しっかりできてると思いますよ。まあ、ほとんどの料理は失敗しようがないですけど」
 ご飯も味噌汁も、大々的に失敗するようなメニューではなかった。鮭もシンプルに焼くだけだ。
「炊飯器の使い方も知らない奴、俺の友達にいるし。俺の方がマシだよね」
 二神は何の自慢にもならないのに、少し得意気だった。
「ただ、卵焼きが足を引っ張りましたね」
 ほとんどの料理はそれなりだったものの、卵焼きだけは歪な形だったと言わざるを得ない。
「形は変だけど、味はそんなに——」
 そう言いながら彼は残っていた卵焼きを口に入れたが、怪訝な顔で押し黙ってしまった。
「うん、おいしくは、ない……」
 二神は少ししょんぼりして見せてから、茶碗に残っていた白米をかき込んだ。
「これから修行して、絶対おいしいって言わせてやる」
 彼は食べ終わった食器を集めて席を立つ。
「言わせるって、誰にですか?」
 真嶋がそう言いながら彼に続いてキッチンに向かうと、シンクに食器を置いた二神はムッとこちらを振り向いた。
「真嶋さんに!」
「どうして?」
 真嶋は自然と疑問を口にしていた。
「どうしてって——」
「いえ、二神さんなら別に僕じゃなくても、色々な友達や恋人に料理を振る舞えるのに、と思って」
 真嶋は話しながら彼のすぐ傍まで近付くと、自分の食器をシンクに置いた。
「そんなの普通しないって」
「そうなんですか?」
「そーだよ。友達同士で集まったら、外で食べるか、マックやコンビニで何か買って帰るか、家でピザ頼むか……とにかく、こんな風に誰か一人が料理を作るなんてしたことないよ」
 目の前の二神は、どこか焦ったようにまくし立てた。
「普通の友達同士ってものが僕には分からなくて……すみません」
 家に来た友達に手料理を出す男は普通ではなかったのか——真嶋は急に恥ずかしくなった。
「別に謝らなくてもいいって」
 二神ははっきりと目を合わせてそう言った。
「普通の友達同士ってことで気を付けるなら、むしろその敬語の方がヘンだよ」
 敬語をやめれば、彼との関係は縮まるのだろうか。真嶋はふとそんなことを考えて、無意識に口を開いた。
「じゃあ、僕が敬語をやめて友達同士になれたら、二神さんは高校の頃の話もしてくれますか?」
 そう言った瞬間、二神の表情が凍り付いたのが分かった。
「それは、その……」
 彼は普通を装いつつも、言葉を詰まらせて俯いてしまった。彼の表情は見えない。真嶋は瞬時に、先週ずぶ濡れで蹲っていた彼を思い出し、彼がまた泣き出してしまうような気がした。
「すみません」
 恐る恐る彼の顔を覗き込む。すぐに背けられてしまったが、僅かに見えた彼の顔は、やはり青ざめて表情を無くしていた。
 どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。何とかフォローしなければ。彼に嫌われたくない。どうすればいい?
 真嶋は咄嗟に色々なことを考えたが、何もいい台詞が思い浮かばず、慌てて彼の身体を抱き締める。二神が抵抗を見せたが、真嶋は手を緩めなかった。今ここで彼を離してしまったら、弁解の機会もなくなってしまうような気がしたからだ。
「あの、本当に……違う、違うんだ。そんなつもりじゃなかった。僕は……僕は二神さんにそんな顔させたいわけじゃない」
 二神の耳元で、真嶋は懺悔するように心の言葉をそのまま吐露した。
「僕は、ただ……」
 彼と友達になって、恋人になって、家族になって、果たして自分は彼をどうしたいのか、今日一日ずっと何となく考えていた。セックスでも、デートでも、共同生活でもなく、その先にある何か。あるいはそれ以前の何か。
「真嶋さん、痛い……」
 二神の声で、真嶋は我に返った。慌てて身体を離すと、いつも通りの二神がこちらを見上げていた。
「真嶋さん、今敬語じゃなくなってた」
「え、あの、すみません」
 気が動転していたせいで、そんなところに気をまわしている余裕はなかった。
「ううん、むしろこれからもそうしてよ」
 そうは言われても、職場ではどうしても敬語を使ってしまうだろう。場所によって彼への対応を使い分けられる自信もない。真嶋が黙っていると、二神はわざとらしく頬を膨らませた。
「隠し事するような奴にはタメ口ききたくない?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
 今度は二神自ら「隠し事」に言及され、真嶋はどこまで踏み込めばいいか躊躇った。
「どうして真嶋さんは俺の過去がそんなに気になるの?」
「友達なら、相手を知りたいと思うのは当たり前じゃないですか?」
「……それで友情が壊れるかもしれなくても?」
 二神の表情がまた一瞬翳った。
「僕は何を聞いても平気です。二神さんはそこまで僕を信用してくれてないんでしょうけど……」
 真嶋の言葉を聞いて、二神は小さく首を振った。
「信用、してるよ。でも、まだもう少し待ってほしい」
 もう少し、というのはいつまでだろうか。そうは思っても、今は待つ他なかった。
「分かりました」
「じゃなくて!」
「分かった」
 彼に睨まれてすぐに言葉遣いを訂正する。こんな些細な積み重ねが、彼からの信頼を勝ち取ることに繋がるのだろうか。この時の真嶋は、彼の心を開くのに数か月はかかると見込んでいた。


***

 月曜日というのは、平日勤務の務め人からもっとも忌み嫌われる日だ。しかし真嶋は、今日ほどこの月曜の朝を憎いと思ったことはない。
「土日も会社行ってたから、月曜って感じしないんだよね」
 二神はいつもと変わるところなく、真嶋の焼いたトーストを齧っていた。
「会社に行けば、そんなのんびりしたことも言ってられなくなりますよ」
「もう前日だからね。今日のミーティングでまた何か追加の作業ができたらどうしよう」
 彼は、さすがに今日の夜は自宅に戻ると言っていた。この土日、彼と共に過ごして特に大きな進展もなかったが、その何気ない時間が幸せだった。たとえ毎晩じゃんけんに負けてベッドを取られたとしても、だ。彼が今日でいなくなってしまうのは一抹の寂しさがある。しかし、ずっと月曜など来なければいいという真嶋の願いは結局通じなかった。
「マネージャーに色々と突っ込まれて、深夜に僕の家に舞い戻ることになるかもしれませんね」
「うあー、今日は絶対帰るよー。さすがに明日はもうちょっと高いスーツにしないと……」
 明日の報告会は、普段のクライアントミーティングなどとは規模が違う。相当上の立場の人の前に出る以上、彼の懸念ももっともだった。
「明日を乗り切ったら、また少しは楽になるんでしょうか」
「それは明日の評価次第じゃない?」
 真嶋が本当に気にしているのは、「またこうやって二神がこの家に来るような状況はいつになるのか」ということなのだが、そんなことは伝わっていないようだ。
「俺、うまくやれるのかな」
 二神はぽつりとそう呟いた。真嶋をはじめとする下っ端の出番はほとんどないが、彼は違うのだ。彼より上の立場であるマネージャーやディレクターも同席するとはいえ、実務部分での主要なプレゼンテーションは全て二神にかかっている。プレッシャーを感じていても無理はなかった。
「あまり無責任なことは言えないですけど、二神さんなら大丈夫だと思います」
「そんなこと言われると余計緊張する」
「え、あの、その、すみません」
「冗談だって。真嶋さんにそう言ってもらえるなら、大丈夫……かもしれない」
 いつもの調子を取り戻した二神を見て、真嶋も安心した。
「僕でよければ、プレゼンの練習でも何でも付き合いますよ」
「やった方がいいんだろうけど、そこまでしてる時間あるかな」
「資料の印刷とか、そういう最後の雑務は任せてしまえば、時間はあると思いますよ」
「うーん、それはそれでどうかな……」
 そんな他愛もないことを話している間に、朝のニュースは天気予報に変わっていた。
「やば、そろそろ出た方がいいよね」
 二神は残っていたトーストを頬張って立ち上がる。
「あ……」
 真嶋が何かを言いかけると、二神は首を傾げた。
「いえ、何でもありません。お皿、そのままでいいです」
 自分でも何を言おうとしたのか分からず、真嶋はそう誤魔化した。何も今日で最後の別れというわけでも何でもないのだ。彼と過ごした短い土日への未練を振り払うように、真嶋も席を立った。

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