肩や腕に誰かが軽く触れただけで、そのままぎゅっときつく握られて拘束されるイメージが湧き起こる。優しく触れているその手が、いつ牙を剥いて襲い掛かってくるかと身構えてしまう。
高校に入ったばかりの頃、予備校で親身に進路の相談をしてくれたチューターのお姉さんは、その信頼をずたずたに切り裂いてくれた。縛られた手首にはくっきりと痕が残り、無理矢理開かれた胸にも、彼女が強引に吸った痕が付けられた。逃げ帰って、親にだけ打ち明けて、遺された痕跡を見て吐き気を催しながら、ベッドの中で丸くなった。それからしばらくその痕が消えるまで、ただひたすらに一人閉じこもった。
痕が消えて、予備校を変えても、もう誰にも触らせまいと、自分で自分に檻を作った。他人との間に、越えてはならない境界線を引いた。
もしかしたらもう一生誰とも触れ合ったり抱き合ったりできないままなんじゃないか——そう思い始めていたところに、一筋の光が射した。
そのきっかけは、大学一年の春。サークルの勧誘攻勢や、新生活独特の人間関係の形成に、松下智己はほとほと嫌気がさしていた。そこで、なるべく話しかけられないようにする一つの策として見つけたのが、背の高い3人組だった。残念なことに智己は日本人男子の平均身長に届かないまま成長期が終わりつつあったが、それを逆に利用して、背の高いグループの傍を陣取って隠れようと企んだ。
新生活だと言うのに既に慣れ親しみ切った様子の彼らは、どうやら高校からの繋がりらしい。友達同士3人が揃ってあそこまでの長身になるのはかなり珍しいことだと思ったが、彼らは高校時代バレーやバスケ部の仲間同士だったのかもしれない。
一番背の高い男は、まるで母親がスーパーで買ってきたような適当な服を着ている。この中では一番背が低い男は、ラフなシャツとハーフパンツを着ていて、まるで背だけが伸びた子供のような雰囲気だ。その二人の間に挟まれた男は、一応ブランドのある服を着ているようだが、袖や裾丈に合わせた大きなサイズの服では、胴回りが少しダボついている。そんな風にあれこれ観察しつつ、彼らの日陰をありがたく使わせてもらうことにした。
最初は本当にたださり気なく近くにいて、防御壁か防風林のように使うつもりだった。彼らは地味な見た目で、いつも教室の後ろの隅の方を確保するので、彼らの傍で俯いてしまえば、自分も地味で陰気なオタクの林に紛れ込めた。
効果は上々だったが、やはり防御は完璧ではない。大学一年の基礎の授業など、ほとんど毎回同じ面子が固まるため、顔さえ覚えられてしまえばしつこく話しかけられるようになる。
彼らがいつも聞くことと言えば「サークル決めた?」というものだったが、そんなことを他人に聞く彼らが、サークル活動そのものを楽しみにしているとは思えない。結局はそこに集まる人と人間関係、もっと言えば恋愛に興味があるだけだ。新学期直後で皆がそわそわと互いの様子を横目で窺う空気が、智己には耐え難かった。
そんな折にふと聞こえてきたのが、防風林代わりにしていた3人組の会話だった。
「うわ、康太の時間割俺とほとんど一緒。真似すんなよ」
「お前が真似すんな。信宏〜、博樹がストーカーしてくるよ〜助けて〜」
いつもこうやって言い合いをしている二人と、その間に挟まれたもう一人。
「一緒に考えるから被るんだろ。俺は一人で考えたし……あれ、同じだ」
「空き時間の効率とか考えたら結論はこうなるよな」
「博樹ってばそんなこと言って、本当は信宏の部屋に隠しカメラでも仕掛けてパクったんじゃないの?」
「んなことしたって、こいつの部屋じゃ何も面白いもん撮れないだろ」
「信宏がシコってるとこは撮れるよ」
「お前らさあ……」
最初が肝心とばかりに意気込む男もいる中、彼らはいつもこんな調子だった。思い返してみれば、彼らは他の学生と会話をしたり、場合によっては単独行動をしたりしているが、特に焦って新しく人脈を開拓しようという雰囲気もない。社交的に開かれているわけでもなく、排他的に閉じているわけでもない、無欲で自然体なのに楽しそうな彼らが少し羨ましかった。
サークルが決まる頃になると、必然的に仲の良さにムラが出てきて、それがグループになる。理系で人数の少ない女子は特にその傾向が顕著だったが、男の方も大なり小なり決まった友人グループというのができつつあった。
手軽に運動したり飲み会をしたりするサークルに入った派手な人は僅かで、彼らが固まるとやはり目立つ。一方、レゴやら折り紙やらコンピュータ系やらの文化系サークルに入って、ぼちぼち友人を作っていくような地味な男の方が大半で、サークルに入らず一人でいても特に浮くようなこともなかった。
結局どこのサークルにも入りそびれていた智己は、このままぼっちコースでもいいか、と思っていたのだが、授業で顔を合わせるたび、髪をやたらと明るい色に染めたグループがまるで仲間のように話しかけてくる。
「松下、サークル入ってないの? 映画研究会入るって言ってたのに」
「うん、ちょっと、イメージと違ったから」
見学に行った時に受けた第一印象は、「暗がりの中で男女が映画を見たいだけの集まり」だ。期待の籠もった女子の視線が苦手なタイプのものだったので、すぐに逃げ帰ってしまった。
「新歓飲みもまだだし、俺たちんとこ来たら? 旅行サークル」
普段は飲み会だけしつつ春夏の休み期間に何泊か旅行するだけの、いかにもな男女の人間関係用サークルな気がする。
「どうせ休みの時に旅行行く以外は暇だしさ、入るだけ入っちゃえって」
予想通りの活動内容らしく、智己は曖昧に笑って誘いを誤魔化した。
ちょうどその時、斜め後ろにぼそぼそと会話する集団がやってきた。
「この授業先週意味分かんなかったんだよな。あ〜、もっと楽しいことしたい。大学生活ちっともバラ色にならない」
「それ、新大学生の言う台詞じゃないだろ。そんなに言うならどっかオタク系のサークル入ればよかったんだ」
「だって、活動時間決められるのってめんどくない? マンガやアニメは好きな時に見るのがいいんじゃん? 博樹だってそう思ったからサークル入んなかったんだろ?」
いつもの二人の言い合い。もう一人は黙っていて、いるのかいないのか分からない——と思っていたら、彼の声が聞こえてきた。
「そもそも、マンガやアニメのサークルに入ると、康太の言うバラ色の大学生活になるのか? これまでもマンガ読んでアニメ見て生きてきたのに、何か変わるのか……?」
「信宏、お前……寂しい男だな。仲間の素晴らしさが分からないなんて」
「え、いや、オタク仲間ができるのはいいことだよ。でも、それとバラ色の大学生活って言葉がイマイチ結びつかないっていうかさ」
オタオタと言葉を連ねる彼の言い分も理解できる。バラ色を望むなら、今智己の目の前にいる男のようになればいい話で、マンガやアニメのサークルを選ぶことからしてバラの棘だらけの茨の道だ。
「オタクな漢と漢の熱い関係……ある意味『薔薇』色だろ」
「シッ、博樹、そういうこと信宏の前で言うと洒落にならないぞ」
「そうだな。信宏君には相撲とかレスリングの部活見学がオススメだな」
「ちょ、な、こんなとこで……」
彼らにしか分からないやり取りに続いて、ガタガタとじゃれ合う音が聞こえてくる。
「松下、聞いてる? 幽霊部員でもいいんだぞ? まあ、たまに飲み会出てくれると、喜ぶ人は多そうだけど」
「飲み会って、俺、未成年だし」
「イマドキそんなこと気にするなんて珍しー」
あれこれと伸びてくる勧誘の魔の手を避けながら、背後の楽しそうな笑い声が耳に入るたびに、彼らを本当に羨ましく思った。彼らの話している内容は面白いわけでもなく、ただそんな面白くもない話をして笑っていられる一種の余裕のようなものが羨ましかった。バラ色の大学生活を口では望みながらも、本気でそれを求めて貪欲に振る舞うこともなく、今あるがままの自分たちで楽しんでいる姿が魅力的だった。
彼らの側に行きたい——そう思った時、だったらそうすればいいじゃないかと閃く。一人でいるからこうやって話したくもない相手に声をかけられるのであれば、さっさと他のグループに属してしまえばいい話だ。
3人の世界が既に出来上がっている彼らに、自分が新しく受け入れてもらえるかは分からない。それでも、智己は彼らに話しかけるタイミングを見計らい始めた。
***
懐かしい思い出の夢からゆっくり目が覚めると、部屋の中には既に柔らかな日の光が入っていた。今は何時だろうと思うより先に、いくつかの違和感を覚える。
ここはどこだろう。この匂いは、肌に直接触れるシーツの感触は、隣にある他人の気配は……何だろう。
ゆっくりと顔を横に向けると、ぐっすりと眠り込んでいる信宏の顔が間近にあった。しかも、自分の頭の下にはどうやら彼の腕があるらしい。起きたばかりの頭がそこで急速に働き出し、昨夜から彼と自分に起こったことを思い出す。
——シャワー浴びて飯食ったら……もっかいしていい?
そんな彼の願望を受け入れてやったはいいものの、結局「もう一回」では済まなかった。
夕食後しばらく二人でテレビを見てから、何となくそんな雰囲気になって一回。その後ベッドの上で彼が今やっているというゲームをしばらく黙々とプレイしていたら、ほったらかしにされた彼がまたベタベタと絡んできてもう一回。その後康太や博樹が好きだという深夜アニメを二人で見て、一緒にシャワーを浴びながらもう一回。ベッドに入って寝ようかというところでまた始まりそうになったが、お互い下着一枚になった時点でかろうじてストップをかけ、慌てて彼を寝かしつけたのだった。
毎回長い休憩を挟みながらダラダラだったとはいえ、どこにそんな体力があったのか不思議だ。中学高校と運動も何もしていなかったという彼の身体に視線をやる。太っているわけでも痩せているわけでもなく、筋肉がついているわけでもない。昨夜はじっくり見られなかった彼の上半身をじっと見ていたら、まるでその視線に気付いたかのように彼が身じろぎした。
「んー……」
呻き声と共に彼の長い片腕が智己の背中に回され、腰を引き寄せられる。頭の下にあったもう片方の腕も智己の後頭部をしっかりと掴み、まるで抱き枕のようにされてしまった。
寝起きの身体に悪いくらい、心臓がばくばくと脈打つ。目の前の信宏は、何発も抜いてスッキリぐったりといった風に眠りこけていて、自分だけがこんなにドキドキしていることに少し腹が立った。
放っておくと抱き締める力がさらに強まり、身体が密着した状態ですっぽりと包まれてしまう。少し前までは、誰かとこんな風になるなど信じられなかった。状況が変わったのは、ほんの10日ほど前のことだ。
***
「来週の日曜も別の大学の子が来るらしいからさ、智己も絶対来いよー」
あの時はかなり大事なコンパだったらしく、授業がもうすぐ始まるというのに誘いがしつこかった。彼らの目的は分かっている。智己が積極的に女子を狙わないことを知っているからこそ、ライバルにはなり得ない客寄せパンダとして都合よく使いたいのだ。断り切れずに顔だけ出して一人で帰るパターンも今まで何度かあり、今回もそうなるかと諦めかけていたところで、背後からわたわたと誰かが近付いてくる足音がした。誰かが授業前に急いで自販機を使いに来たのかと思っていたが、その足音はすぐ後ろで止まる。ぎゅっと抱き付かれた瞬間身構えそうになったが、次に耳元で聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。
「あ、ああああの! ……えっと、その、ともき、俺と……約束……ある」
低いけれど威圧感のない信宏の声——それが今はちょっと震えて上擦っている。他人と密接に触れ合っているというのに、その声だけでいつもの嫌悪感はなくなっていた。
ちらりと顔を上向けて見ると、へっぴり腰になっているのか智己を盾に縮こまっているのか、彼の顔がいつもより低いところにある気がした。
「ま、毎週、俺たち用事あるから、その、またの機会は来ない、かなー……なんて」
ビビッているくせに、信宏は何やかんやと理屈を重ねて庇ってくれている。
ああ、こいつにならどれだけ触られてもきっと大丈夫なんだ。
そう思った理由は今の彼の姿だけではない。2年半一緒に過ごして間近に見てきた植木信宏という男の人となりが、まるで走馬灯のように頭の中をかけ巡った結果、彼の手が自分に害をなすことはないという結論に辿り着いた。抱き締められているのにいつものような嫌悪感がないばかりか、むしろ嬉しいとさえ思っている——そんな感情がまだ自分の中にあったことが驚きだった。
高校1年生のまだ子供だったあの日、自分の中の何かのパーツは壊れてしまって、それはもう二度と修理できないような気がしていた。だが壊れたように見えても、個々の部品はまだ生きている。また組み立て直せば蘇る余地はある。
それに気付かせてくれた男は、今自分の背後でオロオロと返答に詰まっている。嬉しさとも愛しさとも言えない不思議な気持ちに突き動かされ、智己は彼の襟元を掴んで引き寄せながら、ちょっとだけ背伸びをして彼の頬に感謝のキスをした。
その日から、ふとした瞬間に信宏のことを考えるようになった。本当にどうでもいいような日常の一コマばかりが閃いては消える。昼時のコンビニで残り少ないおにぎりを前にしても、彼は絶対康太や博樹が先に選ぶのを待っていた。空席の少ない電車では座ろうとしないし、女子に授業の課題を教えて誉めそやされることがあっても、彼は調子に乗ることも好色な話をすることもなかった。
何かを焦って欲することもなく、自制心と優しさが原動力で動いているような男だ。少し気弱で遠慮しすぎるきらいもあるが、いざという時には男を見せてくれる。この前助けに来てくれた時のように。
彼への好意に気付いてしまえばその先は早かった。信宏が男であることに悩んだのは本当に最初だけだ。
実際、信宏と同じような性格で、信宏と同じくらい信頼できる間柄の人間なら、きっと抱き合うこともその先もできるだろう。しかし残りの人生で信宏以外にそんな人間と出会える保証はない。いつか信宏の女版のような女性が目の前に現れて、彼女と結婚までできる可能性は限りなく低い。
それに何より、信宏に抱き締められた感触を思い出しながら、いつか自分以外の誰かが彼にああやって抱かれることになるのかと想像したら、鳩尾の辺りがギリギリと痛んだ。
あのすらりとした身体も、穏やかな声も、少し天然の入った言葉の数々も、誰にも渡したくない。彼の全部を自分へと向けさせたい。
忘れていた燃えるような情念が胸の奥の方で巻き起こったと思ったら、しばらく冬眠していた身体の中心にまでその熱が伝わっていた。
***
信宏と顔も分からない誰かのセックスを夢想して自慰行為に励んだことを思い出してしまい、智己は彼の腕の中で一人羞恥に悶える。想像の中で信宏に抱かれる誰かを羨んで、そのポジションにこっそりと自分を当てはめていたが、まさかそれが現実になるとは思ってもいなかった。それも、彼への気持ちに気付いてからこんなに早く。
こっそりと片手を出して彼の前髪を横に退けると、隠されていた眉と額が顕になる。今まで分からなかったが、彼は目と眉の間隔が狭く、額が広い。前髪をなくすだけで、どこか理知的できりっとした西洋人のような印象に早変わりした。
この前髪のない彼の素顔は、なるべく自分以外に見せたくない。背が高くて、高学歴で、少し臆病なところもあるけれど気遣いのできる優しい性格で、それに加えてこの顔だったら、打算的な女にすぐ持っていかれてしまうだろう。女からすれば、おかしな妄想癖があるのを差し引いてもお釣りがくる上玉だ。彼は自覚していなかっただろうが、密かに彼を狙っていそうな女子学生もいた。
こんな男の恋人が自分なんかでいいのだろうかと不安になるも、昨夜彼から注がれた愛情を思い出すと、ほんの小さな自信に変わる。あの熱を思い出してもぞもぞと動くと、また信宏から抗議のような寝ぼけ声が聞こえた。
「んー……?」
今度は彼の瞼がぴくりと動いて、その目をぱしぱしと瞬かせた。
「……おはよ」
声をかけると、彼はびっくりしたように固まった。
「あ、えと、俺、あれ……?」
彼ががばりと身を起こしたせいで、布団が思い切りめくれ上がる。智己は寝転がったまま布団を自分のところだけかけ直して、混乱する彼を見上げた。
「ぐっすり寝てたけど、慣れない『運動』で疲れた?」
からかうと、彼の顔はみるみるトマトのように真っ赤になって、勢いよく土下座した。
「す、すみませんでした……」
「何で謝るの?」
「いや、何かすごく、恥ずかしいことをした、ような……」
「恥ずかしいことってどれ? 全部入らないうちに暴発したこと? 肉食系に変貌してガツガツ腰振ったこと? 何度も何度もムラムラしてサカったこと?」
「ああああ……」
顔を上げないまま、彼は頭を抱えて悶絶した。
「俺に恥ずかしいことするって言ってたくせに、信宏の方が恥ずかしがってちゃ駄目じゃん」
調子に乗ってついついからかい続けると、まだ顔を伏せたままちらりと彼がこちらを睨んだ。
「と、智己だって……えーっと、なんか恥ずかしいこと言ってた。妄想でしてたこと全部見せて〜、とか、あとは、あとは……あ〜ん、そこぉ〜みたいな——」
「それは言ってない!」
土下座スタイルのまま丸まっている彼に蹴りを入れる。
「信宏、自分が気持ちいいように動くばっかで、俺のイイところなんて全く無視だったんだから、そんなの絶っっ対あり得ない」
「でも、たまに感じてるっぽく締め付けてきたじゃん……」
ゆらりと身体を起こした信宏に熱っぽい目で見下ろされる。これは何となくまずい空気だ。
「あれは——」
前髪を退けると別人みたいにかっこよくてときめいたから——などと本当のことは言えない。答えられない以上、このままでは形勢を逆転できない。
智己が言い淀んだのをいいことに、信宏の顔がゆっくりと近付いてくる。このままではまた始まってしまう——頭のどこかでそんな警鐘が鳴ったものの、智己は無意識に目を閉じて彼のキスを受け入れた。
触れるだけのキスではなく、ぎこちなく少しだけ舌を入れてくる不器用で深いキス。どうしてたったそれだけのことで胸が締め付けられるのか、自分でも理解できなかった。
くるまっていた布団が剥ぎ取られて裸の上半身がひやりとしたかと思うと、そこに彼の大きな手が触れる。また緊張しているのか、その手は少しだけ冷たい。キスを続けながら、彼は一生懸命智己の胸や腰のあたりを愛撫した。
「……っ」
彼の指が恐る恐る胸の突起に触れてきて、思わず息を詰める。思い切り触らず探るようにそっと触るせいで、くすぐったいような変な感じがした。智己が嫌がらないのを確認できた頃、彼の手にやっと意思が宿り、そこを捏ねるように擦ったり摘まんだりし始めた。
じんじんとした痺れが下半身にまで届き始めた頃、彼はやっと唇を開放してくれた。
「キスって難しいよな……」
まるで独り言のようにそう言って、彼は横たわる智己の身体に視線を向ける。下着の中で緩く反応し始めているそこに気付いたのか、彼の手がまたそっと下腹部に添えられた。遠慮なのか躊躇いなのか分からないが、彼の手は臍の辺りや太ももの辺りを撫でるばかりで、その中心に中々手が行かない。
「もう、やるなら早くしろよ」
見かねた智己は彼の手を跳ね除けて自ら下着を脱ぎ去った。
「ほら、お前も」
自分だけ脱ぐのも癪で、彼の下着も引き摺り下ろす。途中までしか下げられなかったが、そこから先は彼が自ら脱いでくれた。寝転がったまま彼の半勃ちのものを見ていると、信宏はやんわりと自分の手でそこを隠してしまう。
そこでふと、そういえばと昨夜からの行為を思い出す。彼はいつも自分でそこを勃たせてから智己に挿入して果てていた。特殊なプレイなど何もなく、とにかく勃たせて挿れて出す、というだけの実にシンプルなやり方だ。まるで誰かに「初心者はそうするように」とアドバイスでも受けているんじゃないかとさえ思う。
とにかく、智己は彼のそこをじっくり見ることもなければ触ることもできていなかった。
そういうのって受け身っていうか、マグロって言われても仕方ないよな。
心の中でそう呟いてから、智己は彼のそこに手を伸ばした。
「え、ちょ……っ」
上がった抗議の声を無視して、半勃ちでも大きなそこを揉むように握り締める。自分以外の男の局部をここまでじっくり見ることも触ることも初めてだったが、自然と嫌悪感はなかった。
「そんなの、しなくていい、から」
大して奉仕するまでもなく、そこはみるみる勝手に固くなっていく。
「昨日あんなにしたのに元気だなあ」
普段は内気な草食系男子ですという顔をしているくせに、今この手の中にあるものは血管が浮くほど力強く怒張している。彼の男の一面が剥きだしになっているようで、その裏と表のギャップに心臓がドキリとした。
上半身を少し起こして、彼のそこをさらに間近で見てから、その先端部分にちゅっとキスをする。舌を使ったわけでも咥えたわけでもないのに、そこはびくんと震えて先端から涙を零した。
先走りの漏れるそれを握ったまま、ちらりと上目遣いで彼の表情を見る。そういえば昨夜シャワーを浴びる時にコンタクトを外した彼は、今もメガネをしていないため、彼の視界がどの程度はっきり見えているのかは分からない。ただ、茹蛸のように赤くなってわなわなと震えていた彼は、視線が合うと慌てて首を振った。
「む、無理無理無理」
「無理って何が?」
からかうように、また彼の中心に触れるだけの口づけをする。透明な液を滲ませる先端の割れ目にちろっと舌を這わせると、彼の手が智己を引き剥がしにかかった。
「そ、それ以上は、む、り……出る、から……」
「出せばいいのに」
そう言いつつも渋々彼のそこを解放してやる。
「出したらどうせ早漏だとかお盛んだとか元気だとか言うんだろ?」
彼はぶつぶつぼやきながら、昨日と同じように智己の太ももを開かせるように手をかけた。
「信宏ってさ、正常位が好きなの?」
「……え?」
「昨日から全部それ」
ワンパターンをずばり指摘すると、信宏はぴたりと固まってしまった。きっと今頭の中では色々なことをぐるぐる考えているんだろう、と思うと、ちょっとかわいそうなことを言ってしまった気もする。
「ごめんって。俺がいつもこうやって寝てるから自然とそうなるんだよな」
智己は素早く身を起こすと、信宏の身体を逆に押し倒した。
「え? え?」
混乱している彼の腹部に跨って、彼の中心を自分の入り口にぴたりと当てる。彼の先走りを窄みに擦り付け、後ろ手に指を入れてそこを少し広げた。昨夜の行為でまだ解れたままだったそこは、すぐに彼を受け入れられそうだ。
「入れていい?」
「そんなの聞かなくても……」
「だって、また『無理〜』とか『出ちゃう〜』とか言うかと思って」
焦らすように彼の猛りを自身の双丘に挟んで弄んでいたら、急に腰を掴まれる。
「智己の中でだったら出してもいい……っていうか智己の中で出したい」
熱っぽい目でそんなことを言われたら、もう受け入れるしかない。智己は彼のものに手を添えながら、ゆっくりと腰を下ろしていった。昨日の名残で、入り口さえ入ってしまえば後はそこまで難しくない。彼のものを根元まで全部飲み込んでから、一息ついて彼を見下ろした。
「俺のイイトコロ、勝手に探していい?」
答えも聞かずに、智己はゆっくりと腰を動かしながら、彼のものが当たる位置を変えていく。腰を回して角度を変えてみたり、少し浮かせて挿入の深さを変えてみたり、探し始めると信宏に見られていることも忘れて夢中になった。
「ん……ぁ、ここ?」
ある一点を押すようにすると、その刺激が前に伝わることに気付く。腰を揺らしてそこを突かれるように動くと、智己の中心もどんどん固くなっていった。
「は、ぁ……ん、ぅ……」
喘ぎ声を堪えて俯くと、少し苦しそうな顔で信宏がこちらを見ていた。ゆらゆらと腰を揺らしながら、信宏の身体を使って一人快感を追い続けている姿は、まるで自慰行為だ。しかもそれを信宏に見られていると思うと、余計身体の中が燃え上がった。
「のぶひろ、ここ……覚えて」
命令するように言ったつもりだったが、それは甘くねだっているような声色にしかならなかった。腰に添えられていた彼の手に急に力が入ったかと思ったら、今指示した場所を下から突き上げられる。
「ひゃ、ぁ……や、あっ、ぁ」
びっくりして声を出してしまったら、そのまま声が止まらなくなってしまう。信宏は少し動きづらそうだったが、それでも我慢できないと言うように下から容赦なく何度も突き上げてきた。
初めての快感で頭がいっぱいになり、智己は無意識に自身の中心へと手を伸ばす。裏側から押される刺激と前を直接擦って得られる刺激が合わさって、信宏の突き上げに合わせてついつい腰が揺れてしまう。痴態を晒せば晒すほど、煽られた信宏が抽挿の速度を上げるせいで、二人とも競うように高みへと昇っていった。
「ん、んっ……もっ、ぃ、く……」
扱いていた自分のものが大きく脈打って、信宏の腹部に白いものが飛び散る。イったばかりで敏感な内部がきゅうきゅうと信宏の欲望を締め付けると、少しして彼もまた小さく痙攣した。
彼の上に乗って彼を翻弄してやるつもりだったのに、逆に恥ずかしい姿を見せてしまった。わざわざ自分からイイトコロを探そうとしたことを悔いながら、智己は彼の上から退いて一緒に横になった。
「……何笑ってんの」
幸せそうに笑っている信宏がなぜか憎たらしくて、智己は頬を膨らませる。
「だって、俺ばっかりがっついてるみたいで恥ずかしかったけど、智己も意外とエロかったんだなって」
彼がこちらに顔を向けたせいで、前髪がさらりと横に流れる。彼の言葉も顔も何もかもが恥ずかしくて、智己は寝返りを打って彼に背を向けた。そんな態度を取ってしまっても、彼は後ろからぎゅっと智己の身体を抱き締めてくれる。そうやってずっと温められていると、羞恥心すら幸福に変わっていくから不思議だった。
しばらくしてから時間を見ようとしてベッドサイドのデスクを見る。そこでふと、昨日の夜少し遊んだ携帯ゲーム機が目に入った。
「……俺もあのゲーム買おっかなあ」
思ったことをそのまま口に出すと、背後で信宏がぴくりと反応した。
「無理に俺に合わせてる?」
「別にそういうんじゃなくて、ちょっとやってみたらゲームもいいかなって」
それは半分は本当だったが、もう半分は独占欲のようなものだった。小峰優という信宏の友人のことを思い出していると、信宏が小さく「あ」と声を上げた。
「でも多分しばらくは売ってないと思う。前作が余裕で買えたから今回予約しないで油断してた人が多いみたいでさ、今二次出荷待ちなんだって。ダウンロード版買えよって話かもだけど、パッケージ版の特典が良すぎて他買う気にならないって皆——」
「なんか、大変なんだね」
「んー、二次出荷が始まれば、優も俺以外に仲間が見つかるんだろうけどなあ」
「……小峰と毎日ゲームしてたのって、それが理由?」
「え? うん、そうだけど」
彼らがあまりにも毎日毎日一緒にゲームをしていたせいで、彼らの間に何か特別なものがあるとばかり思っていた。蓋を開けてみれば単に「他に一緒に遊べる人がいなかったから」というだけだったようだ。
勝手に勘違いして嫉妬して、深夜に彼の家の前で待ち続けるような真似をした自分が恥ずかしくなる。今から思えば、あの時の自分はかなり勇み足で焦っていた。動物園での彼の告白以降、彼がゲイかもしれないと期待していたところで、彼が毎日他の男と楽しく遊んでいる——上げて落とされての繰り返しで心が摩耗していたに違いない。
「明日康太たちと同人イベント行った後アキバ行くから一応見てこようか? 特典いらないなら本体だけ買ってダウンロード版でもいいけど、あんまりお勧めはしない」
「俺も行く」
「え?」
「イベントの後ならいいじゃん」
そう言っても彼は何か躊躇うようにごにょごにょ言っている。ここまで拒否されると、彼らの参加している同人誌即売会というのも見てやりたくなるが、今はとりあえずそこには目を瞑ることにする。
「……初デートがアキバって、うーん……」
耳元で彼がぽつりとそう呟いた。どうやら彼が返事を渋っていたのはそんな理由だったらしい。
「デートとかそんなつもりじゃないし! ただの買い物だし!」
照れ隠しで彼の腕から逃れ、がばりと身を起こす。シャワーでも浴びに行こうかと思ったら、彼の手がそっと腰に触れてきた。
「これ、ごめん……」
何を謝っているのかと思ったら、先程彼に捕まれていた腰に赤い痕が付いていた。
「ごめん、痛くしないようにって思ってたのに、俺……」
ゆっくりと身を起こした彼は、治るわけでもないのに、赤くなったところを優しく優しく撫でてくれる。
「気持ち良くて余裕なくなって理性飛んじゃったんだろ? 最初の内はそんなもんだって」
彼の額を隠すように前髪をくしゃくしゃと撫でてやる。申し訳なさそうに赤い顔を俯けている彼に、自分もほんの少し優しくなってやろうと思った。
「俺も気持ちよくてぶっ飛んでたから、痛いとか全然感じなかった」
彼が顔を上げた瞬間、彼の唇にちゅっと短いキスをする。
「それに、お前になら何されてもいいって言っただろ。いくらでも痕付けていいよ」
わざと誘うように言うと、彼が首筋に顔を埋めてくる。
「そこは見えるからダメ」
彼の顔を引き剥がして胸の辺りで抱き締めてやれば、鎖骨の少し下の方に唇を押し付けられた。少し躊躇いを見せた後、ちゅうっと吸われて甘い痛みが走る。彼が唇を離してもそこはうっすら赤くなっていて、後々鬱血痕が残りそうだった。
「よくできました」
子供を褒めるような口ぶりが気に食わなかったのか、彼はまた別の所にキスをする。彼が遺す痕跡の分だけ二人の仲が深まっていくようで、どこか不思議な感じだった。
もしも今、暴力の痕を抱えて泣いている過去の自分に出会ったら、今の自分をどう報告しようか——絶対にありはしないと分かっている。それでも、過去の自分に言ってあげたい言葉を考えてしまうのは、目の前の男の妄想癖がうつってしまったのかもしれない。
今は信じられないかもしれないけど、いつか痛みもその痕跡も全部受け入れられる人に出会えるから、それまで待っていて。そしてその人を見つけたら、離さないで、捕まえて。
それが境界の向こう側を見てきた自分からの帰還報告だった。
本編の補完というか、視点が変わるとこう見られてますっていうお話です。
恋は盲目で、お互い分厚いフィルターがかかってそうな感じですが……。
多分信宏が前髪を切るか切らないかでこの二人はめちゃくちゃ揉めると思う。
どっちも「自分はこの人の恋人としてふさわしくない」っていう自己評価なので、信宏は早く脱ダサするために「切りたい」し、智己は他の人に取られるのが不安だから「切らないでほしい」よね?交渉決裂!
もしもその辺をいつか書くなら、私はどっちの言い分を通してあげるべきなんだろう。