ディストピア、あるいは未来についての話 16 | fDtD    
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16

 アラタが仕事でいなくなってしまってから、旭は寝室のベッドの上に寝転がりぼーっとしていた。
 バスルームで久しぶりに「スキンシップ」をした昨夜、旭より後からベッドに潜り込んできたアラタは、布団の中で旭の手をぎゅっと握ってきた。カメラの目が届かないところを探しては触れてくる。そんな彼の執着心に、旭の心臓は眠れないくらいドキドキと脈打った。
 あいつが最近素っ気なかったのは、やっぱり研究員への目を気にしてたからってことでいいんだろうか。つまりあいつは俺のことがそこまで好きってことか? でもそんなに好きなくせに、Ωの俺と恋人ごっこを再開して、αの研究員から差別されるのも嫌?
 ぐるぐるとアラタの気持ちについて考えていたら、午後になって部屋のチャイムが鳴り、誰かがドアを開ける音がした。
「ほら、今日は点滴だ」
 寝室にやって来たのは庸太郎ではない別の研究員だ。少しホッとしながら、旭はノロノロと身を起こした。
 旭は外出して日光を浴びることがない代わりに、不足しがちな栄養素を定期的に投与されている。点滴は検査ほど嫌でもないが、トレーニングルームで身体を動かすよりは楽しくない、何とも退屈な日だった。
 研究員に連れられて研究所の廊下をトボトボ歩いていると、少し先にアラタがいるはずの共同研究室が見えてきた。不意にガラス張りのドアの向こうに見覚えのある女性が現れ、ガチャリとドアを開けた。
 あの人、前にアラタと話してた人だ。
 ぼんやりしていた頭が急激に覚醒する。彼女はドアを開けたまま振り返り、誰かに向き合った。
「一条君、あなたがここにいる本来の目的、忘れたらだめだからね」
「分かってますよ、ハルミさん」
 アラタの声が女性の名を親しげに呼ぶ。しかし彼女はまだクドクドと彼にお説教をした。
「分かってないでしょう。とにかく、彼への感情は徹底的に消して」
「はい……」
 ドアを閉めてこちらへ歩いてきた彼女は、その手に小さな布に包まれた物体を下げていた。
 あれ、弁当箱か?
 布に包まれた箱状の物を見て旭が真っ先に連想したのがそれだった。彼女がエレベーターに乗り込んでしまった後、旭はそれが意味するところを考える。
「何してる」
 研究員に腕を引かれ、旭は自分が立ち止まっていたことに気付く。
 あの人はアラタの恋人なんだろうか。仕事のたびに手作りの弁当を持って会いに来るような? じゃあやっぱり俺のことは本気じゃなくて、初体験の相手だから仕方なく恋人ごっこしてるだけなのか。そして彼女の方も、もしかして俺のことが気に入らないから怒ってた……?
 少し前にも考えた推測がまた蘇り、旭の胸のあたりをキリキリ締め付けた。
 この痛みの正体は、嫉妬――思い浮かんだワードに思い切り首を振りたい衝動に駆られる。
 別にあいつに恋人がいようが何だろうが、俺が気にすることじゃないだろ。俺はただ、自分が遊ばれてるのかどうか、あいつの気持ちが知りたいだけだ。
 自分自身に言い聞かせながら、わざと大きな足音を立てて歩く。研究員から変な目で見られて初めて、旭は自分がギリギリと奥歯を噛み締めていることに気付いた。


***

 どんなに胸がモヤモヤしても、夜ベッドの中でこっそり手を繋がれると、そこから彼の好意が気流のように流れ込んできて、心の曇りを晴らしてくれるようだった。
 意を決した旭は翌朝とあるものを発注し、それはその日の夕方には届いた。
 そしてそのさらに翌朝、旭は繋がれた手をこっそり振りほどいて先にベッドから起き出し、キッチンで準備を進めた。

 一時間半後。
「なあ、午後まで仕事してる時って昼飯どうしてんだ?」
 朝食の席で、旭は何食わぬ顔でそれを尋ねてみることにした。
「……外で、出してもらえる」
 誰から、とは言わない。黙々とパンを囓るアラタの表情は変わらないが、返答のタイミング的にあまり聞かれたくないことのようだ。旭はそこでゴクリと唾を飲んで勇気を振り絞った。
「なら、もし俺が弁当作ってやるって言ったら?」
 顔が赤くなりそうになるのを誤魔化すために、俯き加減でスープをかき回す。
「いや、いい」
 湯気を立てるスープとは裏腹に、降ってきたアラタの言葉は何とも冷たいものだった。
 その後、アラタが部屋を出ていくまでどんな風に振る舞ったのか、よく覚えていない。気が付くとダイニングのテーブルに向かって座り、目の前のものをぼーっと見つめていた。
 大急ぎで取り寄せた弁当箱。その中には、今朝早起きして作った色とりどりの料理が詰まっている。
 そもそも俺、なんでこんなもの作ったんだろ。別にあいつの昼飯なんて……どうでもいいのに。
 青いプラスチックの弁当箱の蓋を、人差し指でピンと弾く。料理の詰まった弁当箱はビクともせず、指の爪が痛んだだけだった。目の端に涙が滲んだ理由を爪の痛みのせいにしてから、内線電話のパネルへと向かった。
「崎原先生、呼んで」
 旭の唐突な申し出に、通話相手の男はゴホンと咳払いした。
「先生にも仕事がある。急には無理だ」
「じゃ、誰でもいいから呼んで」
 旭は有無を言わせぬ強い口調でそう言い切る。しばらくして、部屋のチャイムが鳴ったのを合図に、旭は弁当箱を持って玄関口へ向かった。
「これ、崎原先生にいつもお世話になってるお礼ってことで渡しといて。あと、その弁当箱もあげるってことで、返さなくていいから」
 現れた研究員の男に無理矢理弁当を押し付ける。男は少し戸惑った様子だったが、旭の纏う暗い空気に気圧されたように、すごすごと部屋を立ち去った。


***

 その日、結局アラタは午後になっても帰ってこなかった。外で昼食を取っているということはすなわち、あの女の弁当を食べているかもしれないということだ。
 部屋に一人でいても悶々とそんなことを考えてしまうため、旭は自らエクササイズルームで身体を動かしたいと要求した。旭からの要求が受け入れられるかはいつも半々だったが、今日は幸い手の空いていた研究員がいたため、連れ出してもらえることになった。
 目的の部屋に辿り着くと、入ってすぐのランニングマシーンがあるエリアに人は見当たらない。しかし隣の筋力トレーニング用の部屋には誰かいるようだ。旭は大抵ランニングマシーンかエアロバイクしか使わないので、隣の部屋は気にしないことにした。
 しかし付き添いで来た男は、入り口で監視を始めるわけでもなく、人の気配のする隣の部屋を覗きに行った。旭も少しそちらへ近付いて耳をそばだてる。
「なあ、まだしばらくここにいるか?」
「どうした?」
「例のΩの見張りを頼みたいんだ。手が空いてるなんて言ったけど、本当は週末締め切りの報告書がギリギリで……」
 自信なさげでヒョロリとした研究員は、旭をチラチラ見ながら部屋の中の誰かに懇願した。
「仕方ないなあ」
 その言葉の後に何人かの笑い声が聞こえる。隣の部屋にいるのは一人ではないようだ。
「じゃあ頼む。一時間くらいしたら戻る」
 旭の付き添い役だった男は、大慌てで部屋を出て行ってしまった。
 おいおい、勝手に仕事変わっていいのかよ。随分いい加減なんだな。
 旭が心の中で呆れていると、隣の部屋から三人の男が出てきた。研究員のはずだが、普段の白衣などは着ておらず、Tシャツにジャージのボトムスというラフな出で立ちだ。そして研究員という職業はαでも比較的細身のタイプが多いが、彼らは身体を鍛えるのが好きなのか、いかにもαといったガタイだった。
 三人揃って見張る必要はないんじゃねーの。
 じっとりとこちらを見る彼らの視線を無視しようとしたその時、思ってもいない言葉が飛んできた。
「いきがってみても、女々しいΩはΩなんだな」
「……っ! 何のことだ」
 動揺を見せるな。奴らに弱いところを見せるな。
 旭の中で何かが警鐘を鳴らす。
「皆見てる。テレビドラマを楽しむみたいに、お前が甲斐甲斐しくαに弁当を作ろうとしたことも、それを断られて半泣きになってたことも」
 普段ならどんな嫌味を言われても無視するところだ。だがその言葉を聞いた途端、旭の中に充満していた煙のようなものに火がついて、一気に爆発した。
「そんなんじゃない! 俺は、俺は――
「あれだけ監視されてるんだ。今更誤魔化すな」
 そう言い放った男が口角をニヤリと上げる。理性が止めるより先に、旭は男に掴みかかっていた。
「人をオモチャにしやがって」
「オモチャじゃない、実験動物だ」
 見下ろしてくる目がギラリと光ったかと思ったら、旭の手首は簡単に捻り上げられてしまった。
 ああ、反抗したらどうなるか分かってたのに。感情的になってキレて、俺は大馬鹿だ。
 後悔してももう遅い。男たちは旭の身体を引きずって、機材の入った薄暗い物置部屋へと連れ込んだ。
 まだここに入ったばかりの頃、逆らったらどうなるか身体に叩き込まれている。だからこの後起こることも手に取るように分かっていた。
 隅にあるマットの上に乱暴に投げされたかと思うと、がっしりとした巨体がすぐにのしかかってくる。一対一ですら敵わないような相手なのに、今は三対一だ。左右にいる二人の男に両手をそれぞれ拘束されてしまえば、もう抵抗する気力もなくなった。
 ゴムのウエストになっているスウェットパンツは、男の太い腕によって薄い紙のように簡単にずり下げられてしまう。衣服を片足だけ引き抜かれ、両足を大きく開かれる。恐怖で萎んだ旭のそこが、ニタニタと笑う男たちに丸見えになった。
「惨めだな。お前、どうせあの一条ってαの恋人を見たんだろ?」
「こい、びと……?」
「そうだ。あの男がここの実験に協力するための条件の一つだったんだよ。たまに仕事時間に恋人に会わせてほしい。彼女の作った食事が食べたいってな」
 まさか、本当に恋人だったなんて。
 頭の片隅では、ただの自分の勘違いだと思おうとしていた。突き付けられた言葉に動転していると、男の手が旭の薄茶色の髪をグイッと引っ張った。
「っ痛……!」
 目の前には、露出させられた男の汚いモノ。男はどす黒いそれを旭のピンク色の唇に擦り付け、強引に口内に捻じ込んできた。
 後頭部を押さえられていては逃れることもできない。歯を立てればもっと酷いことをされるのは分かり切っている。喉の奥まで突き立てられるそれを、えずきながら受け入れるしかなかった。
「お前、あのαに恋人がいるってまだ信じてないだろ。お前を虐めるための嘘だと思ってる。まだ自分の方が愛されてると自惚れてるんだ」
 旭の口の中で、男の欲望がムクムクと大きく硬くなっていく。舌での愛撫もほとんどしてやっていないのに、男は旭への嗜虐心だけで興奮しているようだ。
 苦くてしょっぱい味を感じ始めた頃、男は旭の口からそそり勃つモノを引き抜いた。
 思い切り息を吸ったせいでケホケホと噎せてから、キッと男を睨み上げた。
「っあ、恋人に会わせろだとか、仕事させろだとか、俺と……恋人ごっこさせろだとか、何であいつはそんなに色々要望聞いてもらえんだよ。おかしいだろ」
「そりゃ、あの男がこの実験への協力要請に中々応じなかったからだ。あの手この手でヘコヘコあいつの条件を飲んだんだよ。確か……お前の名前を出した後だったかな、難色を露骨に示し始めたのは」
 男の剛直が旭の頬をペチペチと叩くが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「なん、で――
 実験相手があの絵を描いた篠原旭だと知って、彼はすぐに研究協力を受け入れたものとばかり思っていた。
 あいつには恋人がいて、俺との実験に参加するのも、本当は何度も断って……。そんな、馬鹿な。
 呆然としていると、左右から両膝に手をかけられていた。
「ほら、もうお喋りは終わりだ。便器は喋らない」
 両サイドの男によって開かれた股の間に、大きな男の身体が入り込む。男はグロテスクな屹立を旭の白い双丘の割れ目に擦りつけた。
「……っ」
 旭の性器は萎えたままで、もちろん後ろは全く受け入れる準備ができていない。乾いたそこに大きな亀頭がギチギチとめり込み、皮膚が裂ける感触がした。
「っあー、きっつ……。毎月ヤられてて、よくこんな締まるな」
「おい、次ちゃんと変われよ」
 男たちの会話がまるでどこか遠くから聞こえてくる。無駄な抵抗をやめた旭は、とにかく早くこの時間が過ぎ去るよう念じながら、体内を出入りする異物感に耐えた。
 と、その時。物置の引き戸がガラリと開き、蛍光灯の明かりが淫猥な空気の闇をサッと照らした。誰がいるのかは逆光でよく見えない。
 もしかして……助けに来てくれたのか?
 旭がアラタの顔を思い浮かべた瞬間、入口の男が大きな声を上げた。
「おい、何してる! 旭……!?」
 その声は期待したものではなかった。
「よー、たろ……」
 驚きで目を見開く庸太郎を前に、旭を押さえ付けていた男たちは舌打ちを残して逃げていった。

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