Ωのためになる職に就くことを親と約束した庸太郎は、大学で薬学の道を選んだ。
高校の成績は化学が一番良かったので、それが自分に向いていると思ったのだ。苦手な科目を努力して伸ばすより、元から得意な方面で要領良く生きるのが一番だと思った。
それに父から聞いていたのだ。旭が白峰製薬の研究所で研究協力をしていると。
だから大学受験の際は白峰製薬にコネがある教授やゼミを調べた。目を付けたのは、自分の学力的にも一番近いところだ。
計画通り大学三年でその研究室に潜り込み、教授にはΩのための薬を作りたいとアピールし続けていたら、大学院に進学してすぐ白峰製薬へインターンとして入れるようになった。インターンは就職とは無関係という体になっているが、この研究室から白峰製薬へインターンが決まったら、実質就職もほぼ決まりみたいなものだ。
旭はきっと薬の効果や安全性を調べるために協力しているのだろうと考え、彼と接触できそうな職種は開発職だと思ったのだが。
「篠原旭さん……? いえ、分からないですね。と言うより、我々には治験参加者の個人情報なんて分かりませんよ。協力してくれる医療機関の患者さんなんですから」
幼馴染が研究協力をしているらしいとチラっと話題に出した時、本社にいる開発職の人はそう言った。
「彼がいるのが研究所と言うことでしたら、こっちじゃなくて研究部門の方です」
つまり、できた新薬を人間に投与して試す開発よりももっと前、実験や動物への投与等をしながら薬を作っている段階の方だ。
そんなところで一体どんな協力をしているというのだろう――僅かな疑問を抱きつつも、研究所の方に興味があるように振る舞った。
***
「私は以前、幼馴染だったΩの発情期に居合わせ、理性を失ってしまった経験があります。本当はそんなことしたくないのに、身体は勝手に動いてしまって、Ωのフェロモンの恐ろしさを知りました。しかしこういった不幸な事故も、より良い抑制剤を作ることで改善していけると思うんです。もうあんな思いはしたくない……だから御社でΩ向けの新薬創出に関わりたいと」
インターンの選考書類で書いたことと同じような志望動機を並べ立てると、研究所の主任研究員である林という男は細く鋭い目で庸太郎を凝視してきた。
「その幼馴染というのが篠原旭だと……?」
「ああ、そうなんです」
「仲が良かった?」
「小学生の頃はよく一緒に遊んでいました。彼もうちに遊びに来ていましたし。中学以降は、まあ――」
「Ωだと分かって避けていた、といったところかな」
「その通りです。加害者にならないよう自衛する必要がありました」
研究所の応接間が一瞬静まり返る。一呼吸置いてから、向かいの林は大きく頷いた。
「いいだろう。受け入れる」
「ありがとうございます」
病院の地下にあるその研究所は近代的で小綺麗だった。まずはエレベーター近くにある共同研究室を見せられ、時間がある時はここで自分自身の研究や大学の課題をやっていいと言われる。どうやら中はブースで区切られたフリースペースのようだ。
その先の廊下は等間隔で多数の部屋が並んでいた。個別の研究室を持っている研究員もいるらしい。
もっと奥に行くとコミュニケーションルームというドアのない広めの休憩室のような空間があり、そこには自販機の他、丸テーブルと椅子が4〜5組置かれている。その先に実験室、処置室、治療室といった部屋がまた複数並んでいた。
フロアのかなり奥まで進んだ頃、監視室という部屋の前で林が足を止める。
「君の幼馴染を見ていくか?」
その時は彼の言葉の意味が分からなかった。招き入れられた部屋の中には複数のモニターがあり、白衣の男が二人椅子に座っている。
いくつかの画面の内、ベッドを映したものに二人の人物が見えた。ヘッドボードを背にスケッチブックに向かって絵を描いている一人は旭だ。六年半ぶりでも見間違うはずがない。
その隣にもう一人、男がいる。旭の持つスケッチブックをじっと見つめる男が。
「これは、一体……」
「彼の部屋だ。ここで生活している」
「生活? 隣の男は……」
「一条さん――彼もまた研究協力者だ」
庸太郎には分からないことだらけだったが、二人の会話に割り込むようにして監視員が口を挟んできた。
「林先生、一条さんは本当にこのままでいいんですか? 彼らが先ほどキッチンでしていた会話、後で録画見ておいてください。一条さんはあのΩに変な執着を持ち始めているかもしれません」
「分かった。問題がありそうなら次の面会で私から話しておく」
画面の中で二人はたまに何か会話をしている。仲睦まじい雰囲気を見せつけられ、胸の中がざわりとした。
監視室を出てすぐ近く、よく分からない白いドアの前を通り過ぎて曲がると、また小さい部屋が等間隔に並び、エクササイズルームを通り過ぎると最初にいたエレベーター近くの応接室に戻ってきた。
「旭はあそこで何をしているんですか?」
意を決して尋ねると、林はソファへ腰掛けた。
「彼の被害者になったことがあるなら分かると思うが、彼はフェロモン量が多く、発情期であっても妊娠しない」
庸太郎は頷いた。旭の異常なフェロモンのせいであの不幸な事故は起こってしまったのだ――そう自分に言い聞かせながら。
「フェロモンが多いのはそもそも体内のΩホルモンが多いから、その分発するフェロモンも多くなっているんだろう。最近Ωホルモンを抑制するための新しい物質が見つかっていてね、その新薬の投与をしているんだ。彼に効くなら、ほとんどのΩに効くだろう」
――それは、倫理審査を通した正式な治験ですか?
思わずそう聞きたくなった。この研究所の段階であれば、投与する相手はまだ動物のはずだ。治験のI相すら終わっていないのではないか。
しかしただのインターンがそんなことに口を挟むわけにもいかず、庸太郎は沈黙を決めた。
「不妊の方はかなり厄介だ。かなり初期の頃、性交後の奴の胎内に残ったものを掻き出して見たところ、殺精子剤と似た成分の物や、見たことのない物質が検出された。子宮内壁からそれらを出して、精子を弱らせると同時に卵子の膜も強化されているんだろう。問題はどういう仕組みでそれらを出しているのか。性行為の時、彼の血中にいくつかの物質が分泌されていることが分かっている。興奮するとアドレナリンが出るのと同じように、おそらく彼の脳、感情に呼応してそれらが分泌され、子宮内壁に働きかけて殺精子剤に近いものを出しているという仮説だ。明らかにできればΩ用の確実な避妊薬も開発できるはずなんだが……」
それを調べるためには、発情期に彼と誰かの間で性行為をさせる必要があり、さらに採血のためにβの女性看護師も入れているはずだ。
さっき旭の隣にいた男がその役なのではないかと思い至った時、思わず口を開いていた。
「その性行為というのは、誰がやっているんですか」
「これまでは毎月変えている。彼の体内物質は彼の感情によって分泌されるんだ。気分は変えた方がいいだろうと思ってな。それに精力次第では彼の不妊を突破できる者がいるかもしれない。比較的若い研究員や、各研究員たちが出身大学から声をかけた若い学生なんかを使っている」
これまで六年半、発情期が毎月来ていることを考えると、旭は何人の男を食って来たのだろう。ぼんやりそんなことを考えていたら予期せぬ言葉がかけられた。
「君、その役をやってみる気はあるか? 監視カメラで見られることに同意できるならの話だが」
「私は……彼を妊娠させることに一度失敗していますが」
「そう、二回目を試した人間はこれまでいなかったなと思ったんだ。統制をとって今後は特定のαを使う方がいいかもしれない。それに、君は彼と顔馴染みだ。当然感情にも影響が出る」
この研究がうまくいけば、旭が自分の子を妊娠するかもしれないのだ。やっと妊娠したとなれば、この研究所は決して彼の子を堕ろそうとはしないだろう。
そう考えた時にはもう自然と頷いていた。
しかし旭と一緒にいるあの男の存在はやはり何か引っかかる――庸太郎はここ一ヶ月ほどのあの部屋の監視カメラ映像を見せてほしいと希望した。
***
それから何日か経った後、庸太郎は白いドアの前に立っていた。この前は何なのか分からなかったこの部屋こそ、旭の生活エリアなのだ。
一緒にいる林は何もしていないのに、部屋の鍵がガチャリと開く音がした。その先には黒いドアがもう一枚――二重扉の構造になっているようだ。
中は監視カメラの映像で見たのと同じ間取りが広がっている。リビングに入ると、六年半ぶりに見た現実の旭がいた。少し大人びて哀愁を漂わせてもいるが、小学生の頃皆に囲まれていた時の存在感や強かさは今でも残っている。
林が彼らと話をするのを聞きながら旭を観察するが、彼の方は一向にこちらに気付くことはない。曇らせた顔で林ともう一人の男――一条新との会話を聞いているようだ。
庸太郎は、林との会話に受け答えする一条新に視線を移す。この一ヶ月間監視カメラに記録されていた様子とは随分違い、林とはスラスラ会話をしている。
まるで彫刻のようなこの男の顔をどこかで見たような気がするのだが、具体的に思い出すことができない。
考え込んでいると、林がこちらを向いて前に出るよう手招きしていた。
「それから、今後そのΩには実験用に専属のαを付ける。紹介……と言っても、既に顔見知りだと聞いているが」
旭とようやく目が合う。何と声をかけたらいいのか少し戸惑った。
「旭、久しぶり」
「庸、太郎……? なん、で」
「彼は大学院の学生で、この白峰製薬のインターンとして共同研究することになった。ここに隔絶されているとイメージしづらいかもしれないが、君と同い年の人間はもうそういう世代なんだ」
林の言葉を聞く旭は、まるで幽霊か何かを見たような顔をしている。彼の警戒を解くために少し微笑んでみせた。
「これからよろしく」
神様がくれたこのチャンスで、今度こそ旭を手に入れてみせる。心の中だけでそう宣言した。
学生の庸太郎がこの研究室に来られるのは週に3日程度しかない。業務内容は旭を連れ出す時の付き添い、各研究員の部屋の資料整理、論文や資料の印刷、実験の見学といったところだ。それがない時は共同研究室で自主研究といった感じだった。
今日の旭の予定は、午前中カウンセリングルーム、午後はエクササイズルームへ行くことになっていた。
旭を部屋まで迎えに行くと、彼は明らかにこちらを警戒するように距離を取ってきた。
「久しぶり……って同窓会もできないくらい嫌われてるみたいだな」
旭は無言で睨むだけで会話にならない。
「崎原先生が呼んでるから午前中はそっちに、午後はエクササイズルームを使わせろ、だそうだ」
さらに近付くと、旭はまるで見えない毛を逆立てるように無言で威嚇してきた。
「そんなに警戒しなくても……。部屋の外に連れ出す時は必ず脱走されないように捕まえておけ、って言われてるんだから仕方ないだろ」
旭の腕を掴んだ瞬間、彼はびくりと震えるが、逃れようとはしなかった。前ならきっとがむしゃらに振り解こうとしてきたはずで、この六年半の監禁生活で彼が少なからず弱っていることを思わせた。
旭をカウンセリングルームへ預けた後、迎えまで共同研究室にいようと思ったが、途中のコミュニケーションルームの前で足を止めた。
中から一条新の声が聞こえたからだ。
「私はただ彼と分かり合いたいだけなんですよ」
ちらりと声のした方を見ると、休憩中の研究員たちと一緒に紙コップ入りのコーヒーを飲んでいる。
「何も知らないΩにのしかかられて、理性を奪われて無理矢理されるようなことはあってはならない。それはΩに負けるようなものです」
一条新はそこまで言ってからコーヒーに口をつけ、苦々しい顔をした。
「つまり、あいつを落としてあいつの方から『ください』ってねだらせないと気が済まないんだろう、一条さんは。常にΩの優位に立っていたいと」
「まあそうですね。かなり上手くいっていると思うんですが、研究に支障が出るというなら加減しますよ。彼女にも勘違いされるといけないですし」
彼はそこで気怠げにふうと溜息をつく。過去の監視カメラではあれだけ旭に気がある素振りをしておいて、実際には恋人もいるし童貞でもないらしい。
「そういえば来島先生はお元気でしょうか」
「ええ、あのΩの診察担当は外れましたが、今も上の病院で何事もなく働いてますよ」
「それはよかった。あのΩからの好感度を上げるためとは言え、かなり厳しい口調になってしまったので今度謝罪に行かないと」
庸太郎には彼らの会話内容が全く分からないが、とにかく旭を騙しているらしいことだけは推察できた。
「しかしあのΩ、たまにスケッチブックを開いてるとは思ってたけど、展示会に絵を出せるレベルだったんですか」
研究員の言葉に庸太郎も同意する。旭がスポーツ万能な上に、図工の授業でも絵が上手かったのは覚えているが、学校外でのことは知らなかった。まさかそこまでのレベルのものだとは。
「ええ、たまたま母に連れられていった展示会に彼の絵がありまして。とても目立つところにあったのでよく覚えていますよ。Ωも閉じこもって絵だけ描いている分にはいいんじゃないかと思います。おだてて画家にでもならせればいいんです」
「そんなこと言ったって、奴はここから出られませんから、職業も何もないですよ。永遠に中卒のモルモットです」
研究員のその言葉に、どっと笑いが起きる。耐え切れなくなって思わず部屋の中に入ると、彼らはぴたりと会話をやめた。何も聞いていないフリをして隅の自販機へと向かい、自分も紙コップにコーヒーを淹れる。
その時、ぞわり、といつか感じたことがある冷たい視線が突き刺さった。その視線の方向を振り向くと、一条新がジッとこちらを見ていた。目が合っても何も言ってこないので、こちらから口を開く。
「一条さんって、私と前にどこかでお会いしたことがありませんか?」
「……いえ、これまでのクライアントに学生さんはいませんよ」
確かにそうだ。年代がずれているから学生時代の友人のはずはないし、弁護士と会ったこともない。
紙コップ越しに手のひらへ伝わるコーヒーの温かさに少し安心し、庸太郎は足早にその部屋を立ち去った。
一条新という男はとにかくクズだ。Ωを見下し、旭の好意を陰で嘲笑っている最低の人間だ。
おまけにあの男は大根役者だった。あの部屋の外では普通にすらすら話せるのに、旭の前ではしどろもどろで口数も少ない。旭に好意があるフリをするならもっと上手く口説けばいいのに、見下しているΩが相手だとそれが上手くできないのだろう。
とにかく、旭があんな男に騙されないようにしないといけない。旭があいつじゃなくて俺を選べばいいのに。
そんな感情が庸太郎の中でぐるぐると渦を巻き始めていた。
カウンセリングルームから旭を部屋へと連れ帰った後も、庸太郎は玄関先でどうしたら旭の目を覚ますことができるのか考えていた。
「昼飯の時間でいいんだろ? なんでそこにいるんだよ」
旭が言外に出て行けと言っている。
しかし旭はあの男に騙されている。あんな男と二人きりにしたくない。
そう正直に言えればよかったのだが、一条新はこの研究所のVIPだ。ただのインターンがおかしなことを口走って彼の機嫌を損ねたら、研究協力も得られなくなってしまう。それはまずいことは流石に庸太郎も分かっていた。
「お前も外で飯食ってきたら?」
そう言って旭は庸太郎に背を向けて部屋の奥へと歩き出した。
「……あの男には食事を作ってやるのにな」
監視カメラで見た二人の姿を思い出しながら呟くと、旭の足が止まった。
「俺があいつに飯作ってやってるから何だって言うんだ? お前とは何も関係ない」
ただ旭が一条新に騙されないように引き離したいだけなのに。好意を無碍にされて胸の奥がずきりと痛んだ。
「関係ないって……ずいぶん突き放されるんだな。俺、あの日の返事もまだもらってないのに」
あの日のことはなるべく話さないようにするつもりだった。しかし、あの男から自分に旭の目を向けさせるには、あの時の言葉を思い出してもらうしかなかった。
「俺、言っただろ? お前が好きだったって。お前が他の男と仲良くしてるのを気にするのは当たり前じゃないか。関係ないって言いたいなら、まずあの日の返事が欲しい」
「俺はお前のことなんか好きじゃない。って答えたところで、お前は本当に諦めてくれるのか?」
もし自分が諦めてしまったら、旭はあの男に騙されて、真実を知った時に癒えない傷を負うことになる。諦められるかと言ったら答えはノーだ。
「まあ、すぐには無理だろうな」
はぐらかすと旭も少し緊張が解けたようだった。
「……なんでそこまでお前が俺に執着するのかさっぱりだ。俺に付き纏って嫌がらせのつもりか?」
「好きだって告白して、嫌がらせと受け取られるなんて、こっちの方がさっぱりだ」
「お前は俺を恨んでるんじゃないのか」
「は……? なんで、そうなるんだ?」
旭は昔から反抗心で捻くれた考え方をする傾向があったが、その発想には驚かされた。
「だって、俺はいつもお前のことサッカーで負かして、勉強だって……」
そこでようやく彼の思考回路が少し分かった。
「自分よりすごい奴に嫉妬して恨めしく思うこともあれば、逆にそいつを尊敬して好きになることだってある。小学生の頃の俺は、旭がいつも俺なんかに誘いの声をかけてくれるのが、嬉しかった」
「嘘だ」
「嘘じゃない。俺、旭としたあの日が初めてで、あの後も何度か女の子と付き合ってみたけど、旭とのあの時が一番だった」
ぼかした言い方をしたが、本当のことを言うとうまく勃たなかった。初体験が強烈すぎたのだ。
「それは、俺が発情してお前もラットに入ってたから――」
どうしてこの気持ちがうまく伝わらないんだろう――気付いたら彼のことを壁際に追い詰めて逃げられないようにしていた。
「違う。ずっと手が届かないと思ってた旭が俺の下にいる、やっと手に入れた――そう思ってぞくぞくした。あの時の興奮は旭以外の誰からも感じたことなんかない」
両足を開かされて恥部を顕にした旭の姿と、濡れてぬめってαを誘ういやらしい穴――思い出すだけで今もまた背筋が震えて脳が痺れるほどだ。
「そんなのは恋愛感情じゃない。ただの征服欲だ」
「それは旭が決めることじゃない」
彼が自分以外見えないように、その身体ごと抱き締める。
「なん、で――」
「何が? ああ、俺がここに来た理由? そんなの旭がいるからに決まってるじゃないか」
「お前は親父と同じ政治家になるんだと思ってた。それが薬学なんて――」
「親父は親Ω派の政治家だ。その息子の俺が、Ωのための薬を多く開発する白峰製薬に行くことは何もおかしくないだろ」
「この会社はΩのためじゃなく、Ωに迷惑をかけられるαのために薬を作ってるんだ。お前の親父もこの会社も、皆Ωのためなんて口だけだ」
「口だけ? 俺の親父はΩのための施設に今まで大量の寄付をしてきた」
「それだってパフォーマンスだろ? じゃあお前の母親はΩなのかよ」
旭とのあの事故の時、庸太郎の父親は本気で怒った。今庸太郎がΩのための進路を選んだのも、親の圧力によるものだ。あの父親のΩに対する思いは絶対パフォーマンスではないのに、旭はα全体を憎んでいて信じてはくれない。
「確かに俺はα同士から生まれたαだ。でも、ここでの旭の研究が終わって、旭に子供ができるようになったら、俺は旭と番になりたいと思ってる」
下腹部を優しく撫でると、旭はびくりと震えてこちらを見てくれた。
「もしこのままずっと何も分からなくて、俺が一生子供ができない身体だったら?」
「その時は……旭はずっとここに閉じ込められたまま、誰のものにもならない。それを、俺がずっと見ててやる」
「それでお前は、外で俺以外の誰かと結婚して子供を産ませるんだな」
言われて初めて、その場合どうするか何も考えていなかったことに気付く。旭以外と所帯を持つイメージを想像してみてもあまりピンと来なかった。
大丈夫、旭のこと絶対妊娠できるようにしてあげるから――そう言いかけた時、ドアノブが耳障りな金属音を立てた。現れたのは予想通り一条新だ。陰気な顔をした死神のように、じっとりと冷えて湿った視線を向けてくる。
「アラ、タ……」
旭の呼びかけにも応えず、彼は淡々と靴を脱いでいた。このΩ差別主義者は、内心きっと旭のことを鬱陶しいと思っているのだろう。
これ以上彼がいる前で旭と会話を続けるわけにもいかず、名残惜しいが旭から身体を離した。
「午後、また迎えに来る」
旭の頬を撫でて部屋を出ようとした時、すれ違いざまに新を睨む。しかし全く相手にしていないという風に目を逸らされてイラッときた。
旭を絶対こんな男に渡してなるものか――庸太郎の使命感だけが強く燃え上がっていた。