正しく境界を越える方法 | fDtD    
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正しく境界を越える方法

 人間の想像力というのは偉大である。妄想の中ではどんな自分にもなれるし、どんなこともできる。
 そう、たとえば、同性の友人を裸に剥いてあれこれしてしまうことも可能なのだ。
「智己の中、すごいことになってる」
「い、言うな……っ」
 脳裏に描かれた彼は、羞恥に震えながら目を伏せた。
「あ、今またここ締まった」
 自分のものを銜え込んでいる彼の秘部にそっと手を這わせる。
「っ、も、無理……早く」
「早く……何? 言わないと俺ずっとこのままだよ?」
 現実では見たことのない涙目で、彼は悔しそうに唇を噛む。
「……う、動いて」
「どんな風に?」
 少し苛めすぎたのか、彼の目尻から涙が一筋零れた。
「奥、ぐちゃぐちゃに、して……」
 光る涙の上に唇を落として、「いいよ」と囁く。
「はっ、ん、ぁ、あ、のぶひろっ……」
 抜き挿しするたびに彼の口からは甘い嬌声が漏れた。彼に言われた通りめちゃくちゃに抽挿しているため、下からはぐちゅぐちゅと卑猥な音が聞こえている。
「智己、気持ちいい?」
 妄想の中の自分自身が余裕たっぷりに尋ねると、智己はふるふると首を振った。
「も、もっと……お、奥、おく……っ」
 彼の希望通り、速度を落として奥まで深く繋がるようにしてやる。それを何度か繰り返しただけで彼は達し、その締め付けで自身も彼の中に熱いものを注ぎ込んだ——。

 ——しかし現実は違う。吐き出した欲望を受け止めてくれたのは自分自身の右手の平だ。
「あー……またやっちゃった」
 植木信宏は最近現実の友人をオカズにすることにハマっている。友人の名前は松下智己——同じ大学3年の同級生。少し背は低いものの超が付くイケメンで、優しくてしっかり者という出来すぎた男だ。
 後悔に囚われながら、ティッシュで右手の汚れを拭い去る。スッキリした後のこの時間だけはいつも虚しい。しかし、それでもやめられないのだ。なぜかと言われても、それは妄想することが好きだからとしか答えようがない。オタク界隈の言葉で言うならば、ナマモノ——それも身近に見かけたナマモノ限定の腐男子ということになるのかもしれない。
 しかし最近はついに妄想の中に自分が登場するようになってしまった。
 智己が好きなのか? 自分はゲイなのか?
 自問自答しても、あいにく明確な答えは持ち合わせていない。いつの間にか彼と自分のこんな想像をふと思いついて、それで興奮できたから繰り返しているというだけのことだ。
 時刻は23時。まだ寝るには少し早いなと思いながら、何とはなしにテレビを付ける。
『——殺された女性の遺体に遺された体液のDNA鑑定から、警察は埼玉県在住の35歳無職、小森守容疑者を強姦致死の疑いで逮捕しました。調べに対し容疑者は、被害者の大きな胸が気持ちよさそうだったためムラムラしてやったと述べており、警察は今後——』
 どうしようもない動機を男性アナウンサーが変に真面目な声で読み上げたので、不謹慎にも滑稽な印象を受けた。
 テレビの中、車に乗せられた容疑者の顔を見ながら、「馬鹿だな」と心の中で語りかける。全部妄想の中に留めておけばいいのに。それを現実に実行する必要など何一つないし、ましてや無理矢理実現させてしまうのは絶対のタブーだ。妄想好きの風上にも置けない。
 こんなことを考える時になぜかいつも思い浮かべるのは、幼い頃一度見た米軍基地か何かのフェンスだった。広い飛行場に沿ってどこまでも続く金網は、まるでどこにも入り口がないような気がして、この向こうに行くにはフェンスを無理矢理越えるしかないのかと思ったことだけを朧げに覚えている。
 乗り越える途中で落ちたら痛いだろう、中には怖い外国人がいて自分が入ってはならない場所なんだろう、そんなことを子供ながらに考え、飛行場の中で戦闘機を間近に見る想像だけを膨らませた。
 あれからもう10年以上が経った今、いつの間にか自身の欲求を過剰に律し、多くを望まない代わりに想像だけで我慢することが身に沁みついてしまった。特別親が厳しかったというわけでもなく、おそらく内気な性格がそうさせたのだろう。自制心があるといえば聞こえはいいが、その代わりに頭の中で同性の友人を犯しているというのは、やはりどこか捻くれてしまったのかもしれない。
 そんな自覚はあっても、信宏にはそれを敢えて矯正しようというつもりもなかった。自分は人より少し我慢強くて妄想好きなだけだ——自身の性質を肯定するでも否定するでもなく、ただあるがままを受け入れていた。というより、それはもう諦めの境地に近いのかもしれない。


***

 10月の昼下がりは、暑くもなければ寒くもなく、外でベンチに座ってぼんやりするにはちょうどいい気温だ。ただし、ベンチのサイズと座っている人数はあまりちょうど良くはない。大学内の古い講堂周辺にぽつぽつと設置されたベンチは、2人がゆったりと座れる長さだが、身長185cm超の男3人が並んで座るには窮屈すぎた。
「あ、女子高生」
 声を上げたのは信宏の右隣に座る博樹だ。彼の視線を追ってみると、大学のキャンパス見学に来ているらしい高校生の姿がちらほら見えた。
「JKはもう賞味期限切れてるんだよな〜。やっぱ旬は14歳まで」
 左隣に座った康太が興味なさげにそう言ったが、博樹は食い入るように女子高生を見つめている。
「女子高生も十分旬だって……あ、でもちょっとバストが物足りないな」
「いや、胸は無い方がいいに決まってんじゃん」
「黙れよロリコン。男ならGカップ以上を狙うのは当然」
 趣味の合わない二人が言葉だけで静かに戦っている。そんな二人に挟まれていた信宏は、女子高生の群れから別の場所へと視線を移した。
「お前らさ、醜い争いはやめてあそこを歩く男子高校生二人組見てみ。ラブラブだね」
 学ランを来た男子高校生二人が、顔を寄せ合ってキャンパスの地図か何かを見ている。彼らはきっと「二人でこの大学に合格しようね」と約束した仲に違いない——というのが信宏の脳内設定だ。
「ラブラブってどこがだよ」
「頭腐りすぎてんよ〜」
 左右からステレオで聞こえてきた声色には、別段驚いた様子もない。高校時代からの付き合いである彼らは、信宏の性癖——見かけた男同士で不埒な妄想をする趣味があることを知っている。博樹はGカップ以上の巨乳にしか興味がなく、康太は14歳以下の少女にしか興味がないというように、互いに互いの弱みを握っている勝手知ったる仲だった。
 この性癖について彼らに話していない重要なことは二つ。
 一つは、初めて男同士の想像をしたきっかけが、博樹と康太の組み合わせだったこと。彼ら二人は生まれた時からの幼馴染で、高校に入ってから信宏が仲間に加わるまでは二人の世界だった。およそ4年前の高2の夏に、そんな二人の関係を空想したのがこの性癖の始まりだ。
 そしてもう一つは、最近は自分と智己の組み合わせでそういった妄想を始めてしまったこと。
「お、智己じゃん」
 タイミングよく博樹の口から彼の名前が出て、心臓がギクリと跳ねる。キョロキョロと周囲を探索してみれば、目的の人はすぐに見つかった。女二人に親しげに囲まれながら、智己は曖昧な笑顔で彼女らの話を聞いているようだ。
「モテるね〜。あ、こっち気付いた」
 康太の言う通り、彼は女性陣に軽く断りを入れるようなしぐさをして、こちらに早足で近付いてきた。立ち上がろうかとも思ったが、馬鹿みたいに3人で無理矢理座ったせいで、ベンチにすっぽりと身体が嵌ってしまっている。
 目の前まで来た智己は、間抜けな三人組を見てくすりと笑った。サラサラの黒い髪と、長い睫、二重で黒目がちの大きな目——まるで二次元のキャラクターかどこぞのアイドルかといった完璧な見た目で微笑まれ、否が応でも目を奪われる。
「そんなギュウギュウ詰めでノッボ三兄弟は何してんの?」
「え、だんご三兄弟みたいな呼び方やめてくんない?」
「授業が休講になったんで〜、俺たち暇潰し中〜」
 博樹と康太がてんでバラバラの返事をした。それにも智己は慣れた風に苦笑する。
「暇潰しに高校生の注目集めてんの?」
 言われてみれば、傍を通過する高校生から冷めた視線を送られているような気がする。見学に来た有名な大学のこれまた有名な講堂付近で、図体のでかい男3人がベンチにすし詰めでぼんやりしているのだ。気になるのも当たり前かもしれない。
 高校生を観察していると、先程智己と会話していた女二人がこちらをちらちら窺っているのが視界の端に見えてしまった。
「智己、さっきのアレ、話の途中だったんじゃないのか?」
 目だけで女子学生を示しながら聞くと、智己はけろりとした顔で首を振った。
「ううん、全然。俺、これから2号館で授業だし」
「2号館ってエレベーターで絶対渋滞するって。もう5分前じゃん、トモキンもっと急げよ〜」
「人を菌みたいに呼ぶのやめてくんない? あ、信宏さ、今度土曜日の映画、チケット取れた?」
 彼の大きな瞳が、ベンチの三人の中で信宏ただ一人に注がれた。
「取った取った。0時になった瞬間取った」
「あとで待ち合わせの時間とか教えて」
「あいよ」
 去っていく彼の後姿を見送っていると、左右から鋭い視線がチクチク攻撃してきた。
「何、お前ら映画とか見に行っちゃうわけ? 何で俺らは誘わなかったの?」
「二人っきりが良かったんだろ。あー、それこそラブラブって言うんだっつの」
 下衆な色を含んだ言葉に、信宏の喉がウッと鳴った。
「いや、ちが、これは、その」
「男二人組見てホモカップル妄想するような男なんて、やっぱり本人もホモなんだよな〜」
「別に、俺は、女の子でも——」
「女の子『でも』?」
 2対1で問い詰められ、信宏は意味もなく両手を擦り合わせる。
「ほ、ほんとにただ、話の流れでたまたま見たい映画が重なっただけで、康太たちは興味ないと思ったから……」
 公開されたばかりの洋画の話を昨日何となく話したら、智己も見たいと思っていたらしく、一緒に行こうということになった。あれは至って自然な友人同士の話の流れだったはずだ。
 とは言っても、康太は納得していない様子でやれやれと肩を竦めた。
「智己ってイケメンだしな〜。お前が想いを寄せるのも仕方ないよな」
「何勝手なこと——」
「しっかし、どうして智己は俺たちなんかとつるむかねえ」
 博樹の呟きで、信宏ははたと反論を止めた。それは信宏自身も気になっていたことだからだ。
 同じ授業を取った時、あるいは昼食の時間が被った時、いつの間にか智己はこのグループに合流して、信宏の隣に並んでいた。もっとずっと彼に似合った連中——派手な見た目で社交的なグループから声をかけられているにも関わらず。

 彼と出会ったのは大学1年の春。示し合わせたわけでもなく同じ大学の同じ理工系分野に進んだ信宏たち3人組は、つまらない教養の授業が始まるのを教室の後ろの方の席で待っていた。
「あ、こっちのニュースは? アメリカで牧場に侵入して牛をレイプした男逮捕だって」
「おえ〜、今ちょっと想像した」
 確かあの日は博樹がおかしな記事を見つけまくっていて、本当にどうでもいい会話を半ば無意識に続けていた。
「他人の牛を無理矢理、っていうのは駄目だよなあ……うん」
 そう呟いたのも大して何か考えがあるわけでもなかった。
「え、そこ? 自分の牛と合意の上ならそういうことしてもオッケーってわけ?」
「自分の牛と本当に愛し合って合意の上でそういうことになったなら……それって駄目なことなのか? いや、駄目か……」
 哲学的なことを真剣に考えているわけでもなく、昼食後の眠気の中で独り言のようにぼやくと、前の席に座っていた男子学生の肩がふるふると揺れた。そのままくるりと振り返った彼——智己を見て、信宏は一瞬で目が覚めた。まるで天使のようだと本気でそう思ったからだ。
「ね、牛って喋れないけどどうやって合意取るの?」
 彼はまだ笑いながら、自然と会話に入ってきた。
「合意が取れない以上、動物虐待で犯罪だな」
「そうだそうだ、やっちゃ駄目だからな〜信宏」
「俺はそんなことしないって」
 博樹と康太に責められているのを、智己は楽しそうに眺めながら口を開いた。
「あのさ、いつも後ろでそういう変な話してるよね」
 それが彼と信宏たちの始まりだった。

 本当にどうして彼があんな馬鹿げた話をしていた自分たちと友達になろうと思ったのか、今でもまだ分からない。分からないまま、彼はいつの間にか一緒にいるのが当たり前の4人目になっていた。
 しかしはっきり言って、ここにいる3人と智己の取り合わせは見た目だけでもちぐはぐだ。
 まず信宏自身はと言うと、大学デビューでとりあえずメガネからコンタクトに変えてみたはいいものの、結局どこか垢抜けないまま2年半が経過して今に至る。個々のパーツも配置も悪くないと思うのだが、何がダサい雰囲気を醸し出しているのか分からない。結局自分に自信が持てないせいで、目が隠れない程度に前髪を伸ばす癖がついてしまっている。
 髪を染めるべきかとも思ったが、茶髪に染めた康太を見る限り、髪の色にあまり効果はなさそうだ。康太自身は髪の毛補正というものがあると信じているらしいが、憧れの幼女どころか女子大生にすら声をかけられていないのだから効果のほどが察せられる。彼はおそらく童顔で言動もどこか子供っぽいのがマズいのだが、信宏も博樹も彼にそれを伝えたことはない。
 博樹はこの中で一番背が高く、そして一番見た目に気を遣っていない。しかし彫りの深い顔立ちは、おそらく髪や服を整えればそれなりに様になるような気がする。彼だけがモテるようになるのは気に入らないということで、信宏も康太も黙っているため、博樹も残念ながら巨乳の彼女ができることはなかった。
「俺たちであいつに勝ってるところなんて身長しかないのにな」
 博樹の自虐的な発言に反論する者はいない。智己の背は目測でおそらく165cmもないので、彼は180cm台後半の3人をいつも見上げる形になっていた。あの見た目で身長まで高かったら、それは恵まれすぎというものだ。
「智己ってなんか俺たちの保母さんみたいな感じだよな〜」
「保母さん? 俺たち未就学児童なの?」
 彼らの会話に、信宏は心の中だけで少し同意する。彼は自分たちがどんなに変な話をしていても、子供みたいにベンチに嵌まった状態でも、なぜかこのグループにやってきて笑うのだ。ある時は楽しそうに。ある時はちょっと呆れたように。
「智己の前ではあんま言わないようにしてっけどさ、俺たちの性癖ガチで知ったら引くかな〜」
「神経質に隠してるわけでもないし、今でも十分バレてそうだけどな」
 康太と博樹が苦笑した。こうやって3人だけでいる時は、あけすけに性癖を絡めた冗談も言えるが、智己の前や人の多い教室などではあたりさわりないアニメやゲームの話に留めている。ただ、そんな会話の中でもちらほらとキャラクターの年齢や胸の大きさの話をしているため、気付こうと思えば気付けるだろう。唯一信宏に関しては、二次元のキャラクターで妄想することがなかったため、智己の前で腐男子妄想を匂わせることは一切なかった。
「まあ、バレたらその時はその時っしょ」
 ぼそりと呟いたら、左右から笑い声が聞こえる。
「はは、テキトー」
「お前いっつもそんな感じな」
 彼らの緩やかな会話を遠くに聞きながら、自分の妄想癖が智己にバレる日は来るのだろうかとぼんやり考える。それもただのBL妄想ではなく、自分と智己の組み合わせで淫らなことを考えているのだ。バレたらただではすまないだろう。
 悶々とする信宏の内心などつゆ知らず、左右の二人は定員オーバーのベンチから抜け出そうと、何やらわいわい言い争いを始めていた。

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