この地下施設には職員用のエクササイズルームがあり、運動不足を防ぐために旭もたまにここで身体を動かすことになっている。
廊下から入ってすぐの空間には、四、五台のランニングマシーンが並んでいた。速度を調節できるようになっているため、旭はいつも軽いジョギング程度の速度にしている。
軽快に走り続けながら、旭は隣の機械を使っているアラタを横目に見た。
「お前ずっとそんなノロノロ歩くだけで退屈じゃないのか?」
歩き速度に設定した彼は、黙々と機械的に歩を進めている。
「ウォーキングで十分だ」
全く動じない彼に、旭は「あっそ」とだけ返した。次に正面にあるミラーの壁を見ると、ここへ誘導してきた庸太郎が入り口のドア脇でこちらを監視しているのが映っていた。
気にしないように無視しようとしたが、彼のすぐ隣のドアが開き、別の研究員が顔を出した。てっきり彼もこの部屋を使いに来たのかと思ったが、彼は庸太郎に何かを話し始める。
インターンと言っても結局は学生のはずで、庸太郎はここでは言わば下っ端だ。入学したての大学院生なら通学で忙しいだろうし、たとえここに来る日だとしても、旭のことだけにつきっきりにはなれないだろう。思った通り、彼は何か指示を受けてノートに書き記している。
庸太郎という監視員の気が逸れている内に、旭は機械を止めて床に降りた。
「俺は奥の部屋のバイク使ってくるから。お前はそこでずっとちんたら歩いてろ」
「俺も行く」
意外なことに、彼は即答で旭の後をついてきた。監視役のはずの庸太郎は、案の定話し中で奥の部屋まではついてこない。あの廊下への出口さえ押さえておけば脱走の心配はないと思っているのだろう。
奥の部屋へ入り、監視の目から解放されて一息ついていると、背後からアラタが覆い被さるように抱きついてきた。
しっかりとした腕の力強さと、微かな整髪剤の匂い。少し前までは、あって当然だった温もり。それが今は遠く懐かしいもののような気がして、旭は少し潤んだ瞳に手を当てた。
「旭? どうした?」
耳元で響いた低い声さえも、今は貴重な気がしてくる。旭は感傷を誤魔化すように笑った。
「いや、なんかお前がくっついてくるのが久しぶりな気がして」
「ここにはカメラがない。今のうちに旭を充電しないと」
アラタは実にシンプルにそう言い放った。やはり彼が突然冷たくなったように見えたのは、カメラ越しの視線を気にしてのことだったのだ。
その事実に背中を押され、旭はごくりと唾を飲む。
「なあ、今更俺の方からこんなこと言うのもアレだけどさ、あいつら言ってたよな? 発情期の実験さえ邪魔しなければ、それ以外ではいくらでも恋人ごっこしていいって」
また前みたいにベタベタしよう、と単刀直入に言う勇気はなく、旭はモゴモゴとそれだけ言った。
「少しでも彼らに何か言われる可能性があるなら、万全を期して何も見せない方がいい」
アラタの答えは頑なだった。
そんなに困るのか。俺の――Ωの味方だって思われるのが。
「旭?」
アラタの腕の中から無理矢理抜け出した旭は、整然と並んだ自転車型の機械へと向かう。
「あのエアロバイク、走行距離が出るからそれで競争な。この後ここを出るまでにたくさん走った方が勝ち」
落ち込んでいるのを悟られないように、空元気で彼を挑発した。
今ここに監視カメラがあったなら、きっと研究員たちから笑い者にされたことだろう。誘ったのにフラれた哀れなΩとして。
汗とともに今の恥ずかしい誘いも流してしまおう。旭はとにかく無心でペダルを漕ぎ続ける。踏み込む足はいつもより重く、まるで泥の中に足を突っ込んでいるような気がした。
庸太郎と交代でついた別の研究員に呼ばれた時、一応エアロバイクの走行距離を調べたが、数字を見るまでもなく旭の勝ちは明確だった。
「俺の方が勝ったんだから、シャワーも俺が先。つーかお前、のんびり漕いでて汗かいてないんじゃねーの」
帰り際に廊下でそんな話をする。ランニングマシーン同様、エアロバイクでも彼はとにかくスローペースだった。
部屋に辿り着いてから、旭は宣言通り先にシャワーを使うためバスルームへ入る。いつもより多めにかいた汗を時間をかけて丁寧に流していると、不意に背後でガラリとドアが開いた。振り返った先にいるのは予想通り裸のアラタだった。
「なん、で――」
「汗をかいて気持ち悪い。遅いから待ちきれなかった」
彼の声は棒読みのように感情が見えない。本当に旭のシャワーが長くて不機嫌なのか、それとも――。
その疑問に答えるかのごとく、アラタはシャワーを持った旭の身体ごと抱き竦めた。監視カメラが曇って機能していないのをいいことに、彼の大きな手は旭の身体をくまなく確かめるように這い回る。
つい声を漏らしてしまいそうになってから、音声だけは誤魔化さなければという意識が働く。
「俺が勝ったんだからシャワーも俺が先って言っただろ」
「事前にそんな契約をした覚えはない。その主張は無効だ」
会話上では言い争っているが、彼に愛撫されただけで旭のモノは反応し始めていた。
「何もなければこういう場合αの方が優先されるだろう」
冷たい差別発言とは裏腹に、彼の手は旭の昂りを宥めるように扱いてきた。
「……っ」
何か会話を進めなければと思うのだが、シャワーの熱と下半身の熱で頭がぼんやりする。胸に抱いたままのシャワーヘッドから当てられる温水さえも、敏感な身体には刺激になった。
何も答えない旭を見ながら、アラタは少し困惑気味に会話を再開させた。
「まだここを出て行く気がないなら……背中を流せ」
もちろん本気でそんなことをさせるつもりがないことは、背中に回されている彼の左腕からも、旭の茎を追い立てる彼の右手からも明らかだ。思わずキャラに似合わず「はい」と素直に言いそうになったが、慌てて首を振る。
「だ、誰が、そんなこと――」
「いいから。反抗的な態度を取るなら、あの中宮という男を呼んでやろうか」
たとえ演技でも、それは旭にとって効果覿面だった。
「あいつは嫌だ」
「なら俺の言うことを聞いた方がいい」
これで背中を流し始めたという体で、しばらく会話がなくてもおかしくはないだろう。同じことを思ったのか、アラタの指が旭の先端をグリグリと撫でた。
シャワーの音があるとは言え、大きな声は出さないようにしないといけない。旭が唇を噛んで快楽に耐えていると、不意に背中にあった手が離れ、旭の持っていたシャワーを奪い取った。
彼はシャワーヘッドと旭の胸を交互に見てから、あろうことか勢いよくお湯の出ているシャワーを旭の右胸の突起に当ててきた。
「っは、ぁ……」
声が出そうになって、慌てて手で口を塞いだ。アラタは分かってて意地の悪いことをしていると言うよりも、旭の新しい性感帯を見つけて興味津々の子供のようだった。声に出して「駄目だ」と叱ることもできず、旭は自身の両手で胸を守る。
しかしそれがアラタをさらにムキにさせてしまったようで、彼は旭の勃ち上がったものを放り出し、シャワーも壁に掛けると、空いた両手で旭を壁際に押さえつけた。背中に触れた冷たいタイルにヒヤリと震えていると、彼の手はさっさと旭の胸の前の腕を取り払い、再び見えたピンク色の小さな突起に顔を寄せた。
乳首なんて誰にでも付いてんのに、何物珍しそうに見てんだよ! そんなことより――。
旭は中途半端で放置されてしまった下半身のモノをふるふると震わせた。
早く下触れ、馬鹿。
旭は潤んだ瞳でアラタに訴えかけるが、旭の乳首に夢中な彼に、その懇願は伝わらない。彼はゴクリと喉仏を上下させてから、恐る恐る旭の乳首に舌を這わせた。少しざらついた生暖かな感触が、シャワーの刺激で既にぷくりと勃っていた部分を押し潰す。
「……っ!」
旭の薄い胸板がヒクリと跳ねると、アラタは面白いおもちゃを見つけたかのように、そこを執拗に弄り始めた。舌でコロコロと転がして、押し潰して、赤ん坊のようにキュッと吸い付く。
声、出したい。下も思いっきり触って、はやくイカせろ。この変態! ムッツリエロα!
頭の中だけで強気に喚くことはできても、旭の身体にはもはや全く力が入っていない。アラタによって壁に縫い止められた両手で磔にされたまま、与えられる快楽に悶えるしかなかった。
「は、ふ……ぅ」
どんなに我慢しても吐息だけは漏れてしまう。しっかりシャワーの音でかき消されていますように、と思った時、右胸への刺激がやっとなくなる。快感でぼんやりと天井を見ていた旭は、今度は左にでも移るのだろうかと観念していた。しかし少し待っても彼は何もしようとしない。なんとか頭を働かせてアラタを確認すると、彼はなぜかじっと下に視線を落としていた。
こいつ、何見て――。
つられて下を向いた旭が見たものは、限界まで上を向いて震える自身のモノだった。しかも無意識の内に内股をモジモジと擦り合わせて腰を振ってしまっている。
勃ってんだからイキたいのは当たり前だろ! 見るな、見るな、気付いたんなら早くそこ触れ!
旭が送った念も虚しく、あろうことかアラタは旭の下半身を無視して左の乳首に吸い付いた。
違う! 何考えてんだ、馬鹿!
もう旭に抵抗の意思がないことを悟ったのか、アラタは旭を拘束していた手を片方外す。今度こそその手で下に触ってくれるのかと思いきや、それは空いていた旭の右胸の突起に触れた。
乳首だけでイケるわけないだろ……。早くしないと、さすがに不審に思われるっての。
旭は解放された片手でアラタの肩を押した。しかし旭の両胸に無我夢中で張り付いているアラタには何も伝わらないようだ。右側は指で摘まれ、捏ねられ、左側はぬめぬめとした温もりに包まれる。舐めているだけでアラタも感じているのか、胸の周りに当たる彼の吐息も熱かった。
うわ、こいつ勃ってんじゃねーか。無表情で男のおっぱい舐めてビンビンとか、ド変態、最っ悪!
心の声が聞こえてしまったのか、まるでお仕置きのように彼の攻めが激しくなる。指で刺激されている方は、親指の腹でぎゅーっと潰され、舐められている方は思いっきり吸われる。痛みと快感の絶妙な境で、旭の頭が真っ白にスパークした。
一瞬飛んだ意識が戻ると、腹の辺りにシャワーの湯ではない、ドロリとした何かが流れ落ちた。
……嘘だろ。
白いソレをしっかり目で捉え、自分が胸だけでイッてしまったことに愕然とする。アラタは満足気に飛び散った白濁を見てから、旭の身体を解放した。
力が抜けて、壁沿いにズルズルとへたり込み、旭は果てたそこをぼんやりと見た。
男のくせに乳首舐められただけでイクなんて、俺もあいつと同じ変態じゃねーか。いや、違う、俺は悪くない、悪いのはこいつだ。
キッと見上げた先には、しっかり勃ち切っているアラタの昂ぶりがある。仕返しに旭はそこをむんずと掴んだ。
「旭……?」
「どうかしたか? 背中を洗ってやってるだけ、だろ?」
旭は惚けて彼の反り返った欲望に唇を付けた。
「いや、もう十分だ。後は自分でやれる」
俺にあれだけ恥ずかしいことしておいて、自分だけ一人でこっそり処理するつもりか。そんなうまい話はねーぞ、馬鹿。
旭は復讐として、彼のモノを先端から勢いよくパクリと咥えた。根元までは無理だが、旭の口に入る限界、喉の奥までそれを咥え込む。
この大きなモノをどう苛めてやろうかと思ったその時、アラタの手が旭の後頭部を掴んでグッと引き寄せてきた。何が起こったか分からない内に、口の中で彼がビクビクと痙攣し、喉の奥に熱い液体が流れ込む。彼に抱え込まれた今の状態ではどうすることもできず、旭はそれを全て飲み込むしかなかった。
やっと口の中から彼が出て行って解放されると、バツの悪そうなアラタと目があう。僅かに眉根が寄ったその表情は「やってしまった」と言わんばかりだ。
フェラされた瞬間暴発って、お前俺の乳首舐めるだけでどんだけ限界まで来てたんだよ。
そんな憎まれ口を叩いて逃げ出したいのだが、何も言葉にできないせいで、二人とも赤い顔で睨み合うしかできない。なんとも言えない空気に先に耐えられなくなったのは旭だった。
「おしまい! ごちそうさま」
パッと立ち上がって壁に掛けられたシャワーを軽く浴びると、旭は脱兎の如く洗面所へと移動した。赤くなった顔がカメラに映らないよう、タオルを頭から被ってわしゃわしゃと髪を拭く。アラタはシャワーで自分の身体を洗い始めたようで、すぐに出てくる気配はなかった。
なんでこんな動揺してんだよ! あいつにこういうことされんのが久しぶりだったから? それとも……あんな風に胸なんか弄られたのが初めてだったから?
旭は髪を拭く手を止め、タオルを被ったまま俯いた。今まで発情期の度に何度もセックスをしてきたが、相手のαは皆自分自身の快楽を追うばかりで、旭の快楽など気にかける者はいなかった。
そういえば俺、誰かにキスされたこともなかったな。
無意識に唇に指を這わせ、キスの瞬間をイメージする。その相手がなぜか無表情のアラタで、旭はハッと我に返った。
俺、やっぱりあいつのことが、好き……なのか。
そう思った瞬間に、自分の身体を覆うタオルの感触が、彼に抱き締められた時の温もりに重なった。しばらくその感触に浸ってから、旭はハッと意識を取り戻す。
違う、違う! 俺は男なんて、αなんて――!
タオルをがむしゃらに握り締めて、旭は心の中で絶叫した。