庸太郎はしばらくの間、一条新について研究員らに探りを入れる日々を送った。人によって彼に関する理解に差があるのは、まだ彼がここに来て一月程しか経っていないからだろう。
聞くところによると、一条新をこの実験へ参加させるための交渉はかなり難渋したらしい。当初話を持ちかけた時は興味を示したようだが、相手のΩ――篠原旭の詳細を伝え始めた頃から彼は徐々に消極的になったという。
第一に、彼はΩに対して強い苦手意識があるそうだ。また、今までΩのフェロモンに反応しなかった彼にとっては、強力なフェロモンを発するΩによって初めてのラット状態になることへ大きな不安を抱いていたという。そんな状態で相手のΩと性行為に至り、終わった後にレイプ加害者かのような目を向けられるのは耐えられないと。
だから彼は少しでもΩに慣れるために発情期以外もあの部屋で過ごすことにした。さらに旭からの好感度を稼いで彼を自分に惚れさせれば、いざ発情期で性行為に至ったとしても、合意の上で彼を抱いただけでレイプだと詰られることはない。という計画だそうだ。
旭にも共同生活の理由を『発情期の前にお互いを理解するため』と伝えているらしいが、確かにそれなら嘘ではない。ただし、旭の方は『一条新は童貞で、初めての相手だから親睦を深めておくため』という理解になっており、まさか一条新がΩ嫌いだとは思っていないようだ。
他のαの研究員は「Ωなんてオナホか何かだと思えばいい」と諭したそうだが、一条新のΩ嫌いは徹底していた。ラット状態に入らない限り、Ωからどんなにねだられてもセックスしてやることはないと言い切るほどに。現にこの前の発情期も、旭は物欲しそうに一条新を誘っていたが、彼はどれだけ煽られても自慰に留めていた。
旭からすれば意味が分からないだろう。なぜあんなに求愛してきたくせに、いざとなったらセックスしてくれないのか。
あの男は完全に二重人格状態なのだ。旭の前では旭に好かれるための言動をし、彼が見ていない裏では旭への愚痴を研究員たちと共有している。旭と研究員の両方と一緒にいる時は、彼は必ず旭を守る側につく。いつも一緒にΩの悪口を言っている一条新が急に敵になるので、研究員たちも突然の対応に狼狽えることがしばしばあるようだ。
その時の一条新の演技が真に迫っていること、一条新が旭にかける言葉が真剣味を帯びていること――それらから、彼は本気で旭に執着し始めているのではないかという疑いを持つ者が徐々に増えてきていた。そしてこの前の発情期の時の言動で、その懸念は無視できないレベルに到達したという。いくら旭からの好感度を稼ぐための演技とは言え、実験の妨害をするのはやり過ぎだ、というイエローカードが出たらしい。そんなわけで、一条新は現在旭への求愛行動を控えているという状況になっている。
なぜ一条新の様々な要求を呑んでいるかというと、やはり彼の体質は魅力的だからだ。発情したΩを前にしても反応しないで済むなら夢の新薬だ――実際に事故を起こしたことがある庸太郎にはよく分かる。
そのため、この研究所は彼が仕事をしたいと言えばスペースとパソコンをあてがい、恋人に会う時間を作ってやり、旭の好感度稼ぎの演技にも付き合ってやっているのだった。
***
ある日、庸太郎は午前中大学で授業を受けてから昼頃研究所へ向かった。今日は確か資料整理を頼まれていたはずだ。しかし依頼主である研究員の部屋に行ってみたものの誰もいない。昼時だからコミュニケーションルームで昼食でも取っているのだろう。
予想通り、コミュニケーションルームに近付くにつれて話し声が聞こえてきた。
「おい、この弁当誰のだ?」
「あのΩが作ったんすよ。一条さんのために」
「あの人恋人の愛妻弁当あるからいらないだろ」
「そう、それで受け取ってもらえなくて拗ねちゃってさ。崎原先生に渡せって言われたけど先生今日いないんだよ」
「じゃあ捨てろよ」
彼らの会話だけで何があったのか分かってしまう。入り口から顔を出すと、研究員二人がいるテーブルの真ん中に薄青色の弁当箱が見えた。
「ああ、中宮君ごめん。あとで資料渡すから共同研究室で待ってて」
そんなことより、庸太郎の視線はテーブルの上の物体に集中していた。
「あの、捨てるならそれ貰ってもいいでしょうか」
「ああ、いいけど……中宮君ってあのΩの幼馴染だっけ? 結構気に入ってるみたいだね」
「一応、昔はよく一緒に遊んだんで」
持ち上げた弁当箱の重みを感じていると、研究員は少しだけ躊躇ってから「あのね」と話し出した。
「インターンの間に一つ教えておくとさ、それだと多分ここ、追い出されると思うよ」
「それって、どういう――」
庸太郎の言葉の途中で他の研究員たちがガヤガヤと入ってきたので、それ以上話はできなかった。
しかしその意味はすぐに何となく分かることになる。
共同研究室内入り口付近のブースに入り、庸太郎は早速手に入れた弁当を開けてみた。
緑の野菜、黄色い卵焼き、赤いトマトに白いポテトサラダ――カラフルになるよう丁寧に作られたことがすぐ分かる。
下の段を見ると、そこにはただの白米ではなくケチャップ色のチキンライスが詰まっていた。確か監視カメラの録画によると、一条新は嘘か本当か分からないがオムライスが好きだと自己申告していた。卵が乗っていないだけで実質チキンライスもオムライスのようなものと言えるだろう。
旭が誰のことを想って作った弁当なのかは明らかだ。自分のために作られたものではない。
しばらく色とりどりの料理を眺めていると、部屋の入り口から女性の声が聞こえてきた。
「一条君、はい、これ」
各ブースがパネルで仕切られていて、座ったままだと声の主は見えない。しかし噂されている一条新の恋人だろうということは分かる。受け取っているのは例の愛妻弁当だろう。
「最近はどう?」
「ええ、まあ、かなりストレスが溜まってきていますがなんとか」
「充電不足?」
「そうです」
何の充電が不足しているのか全く分からないが、彼らの会話は続いていく。
「私もしっかりサポートするから、こっちのことは気にしないで」
「ありがとうございます」
その後入り口のドアが閉まる音が聞こえ、奥のブースの方に足音が消えていった。
庸太郎の目の前には旭が新のために作った弁当があるのに、奴は本当の恋人から受け取った弁当を食べるのだ。旭はそれを知っているのだろうか。そう考えてみたらあまりにも残酷で、口に入れた卵焼きはしょっぱい味がした。
昼休憩の後、研究員の個室に呼ばれて資料整理の内容を指示された。部屋の隅にあるテーブルで黙々と資料の仕分けとファイリングをしてしばらく経った頃、研究員がパソコンの電源を落として立ち上がる。
「あのΩが急に今日エクササイズルームを使いたいとか言い出したらしくて。ちょっと見張りに行かないといけないんだ」
「それなら代わりに私が……」
「いや、中宮君にはそっちの整理なるべく急いでほしいから」
そう言って部屋の主はいなくなってしまった。
きっと一時間は戻ってこないだろう――その予想に反して彼は十分も経たないうちに戻ってきた。
「あれ、どうしたんですか?」
「いや、ちょうど他の連中がエクササイズルームを使っていたから見張りを任せてきたんだ。締め切りが近い報告書もあるし」
「そう、ですか……」
旭の見張りというのは、担当外の者であってもすぐ引き受けてくれるようなものだろうか。何のメリットもないのに? 気になることは色々あったが、庸太郎はそれ以上何も言わずに手元の資料を仕分け続ける。
しかしその頭の中では、今日コミュニケーションルームから聞こえてきた会話を思い出していた。庸太郎が弁当箱を持ってあの部屋を出た直後、背後から聞こえてきた声。
「今朝の録画、絶対見た方がいいぞ」
「何があったんだ?」
「あのΩ、せっかく一条さんに弁当作ったのに一蹴されてやんの」
「あー、最近一条さん塩対応モードに切り替えたからな」
軽薄な口調と下卑た笑い声。ここの研究員たちは皆旭を笑い物にしている。陰で笑うだけでなく、旭本人を前にしたら? 何を言うんだろう。あるいは、何をするんだろう。
胸がざわついたまましばらく作業を進め、キリがいいところで一旦手を止めた。
「昨年度分、終わりました」
「おお、早いな。疲れたら少し休憩してきていいから」
その言葉に甘えて庸太郎は研究室を出た。休憩するならコミュニケーションルームに行くところだが、少し早足でエクササイズルームに向かう。旭が問題なく身体を動かしていることが確認できればそれでいいはずだった。
しかし入ってすぐのランニングマシーンのところには誰もいない。隣の筋力トレーニングの部屋か、あるいは奥のエアロバイクか――そう考えた時、部屋の隅にある小さな引き戸の向こうからガタリと音が聞こえた。あそこはきっと物置か何かのはずだが、音がするのは明らかにおかしい。
足早に近付いて勢いよく戸を開けると、狭い空間で男三人が誰かを組み敷いていた。
「おい、何してる! 旭……!?」
よく見ると男たちの下にいるのは旭だ。しかも下半身がむき出しになっていて、スウェットパンツと下着が片足に引っかかったまま両足を開かされている。
「よー、たろ……」
今見ている光景が信じられずにただ黙って見ている間に、旭を押さえ付けていた男たちはどこかへいなくなっていた。
「くそ……あいつら」
旭はそんな悪態をつきながら身を起こす。彼が意外と動揺していないのに対し、庸太郎の方がむしろ気が動転していた。
自分で歩けると言う旭を無視して、彼を自身の白衣で包んで抱き上げる。とりあえず研究員たちが手を出せない安全な場所に運ばなければと考えたものの、結局監視カメラで見られている旭の部屋しか行く先はなかった。
「おかしいと思ったんだ。さっき旭の付き添いに行くって出てったはずの人が研究室に戻ってきてて……」
あの時、きちんと研究員に確認すべきだった。どのような立場の人間に旭を任せたのか。
庸太郎が自分を責めている間に旭の居室へ辿り着く。彼をベッドに座らせると、旭の太ももに赤いものが見えた。
「血が出てる」
発情期であればΩのそこは完全に濡れていて怪我をすることなどほとんどない。しかし本来であればこのように裂けて傷付くのだ。
綺麗にしてやろうとコットンを手に旭の両足を軽く開こうとするが、貝のように固く足を閉じられてしまった。
「自分でやるから、触るな。出てけ」
彼に白衣を突き返され、庸太郎は戸惑う。
「でも――」
「こんなの大したことじゃない。発情期以外でこういうことされるのも、ここでは日常茶飯事だ」
彼の言葉は嘘ではないだろう。今回のことで確信したが、ここの研究員たちのΩに対する意識はあまりにも酷い。Ωに、あるいは旭に1ミリでも情を持ってしまったらとても耐えられる空間ではない。
彼についた血をなんとか拭い去りたくて、再び旭の足の間に手を入れる。
「だから、シャワー浴びるからいいって……」
旭はそう言うが、これは庸太郎がやりたくてしていることだ。
彼の血を拭うことで、何か許されるような気がしていたから。しかし何が許されるというのか。
不意に脳裏をよぎったのは明るい陽の差す児童養護施設の診察室と、ぐったりと倒れている旭の姿だ。
もし発情期でなければ、彼の下肢は血に塗れていただろう。ましてや彼は処女だったのだから。
しかしたとえ発情期のおかげで外傷がなく済んだとしても、彼の心は血塗れだったのではないか。
そんな考えが頭をもたげた瞬間、もう一人の自分が叫んだ。
違う、あれは事故だった。Ωのフェロモンのせいでおかしくなっただけで、本当はあんなことしたくなかった。
太ももを綺麗にした後、庸太郎の指は旭の窄まりに向かう。彼の傷の具合を確かめたくて。
「何を、しているんだ?」
部屋に重く響いた低い声に、思わず手が止まる。いつの間に帰っていたのか、一条新がこちらを見ていた。
そうだ、さっき思い出していたあの診察室だ。あそこで凍りつくような視線を向けてきた男は一条新にそっくりだ。
とりあえず旭から手を離し、無実を示すように両手を上げた。
「誤解されると困るから言っておくと、俺は何もしてない。虫の居所が悪かった研究員にヤられてたところを俺が助けた」
旭はまるで何かを隠すように急いで下着とスウェットパンツを身に付けた。
「この研究所は被験者の人権を何だと思っているんだ?」
不意に呟かれた一条新の言葉に耳を疑う。
旭がいないところでは他の研究員たちと散々旭を笑い物にして、彼らの旭に対する差別感情を扇動しているくせに。お前があんな酷いことばかり言うから、「旭には何をしてもいい」という共通認識が研究所内に出来上がっているんだ。
それなのにこいつは旭の前でだけ、こうやってΩに優しいフリをして旭を騙している。
流石にこればかりは黙っているわけにはいかなかった。
「インターンの俺に言われても。それに、旭が絡まれた原因の一部は多分お前だ。今日監視カメラを見てた連中が話してたのを聞いたら――」
「庸太郎!」
「どういうことだ?」
ほぼ同時に二人から声をかけられ、庸太郎は言葉を止めた。
「余計なことは言うな!」
旭の必死さに気圧されて何も言えなくなってしまう。すると今度は新の方から重苦しい圧がかかった。
「俺には話せないことなのか」
とりあえず旭と新の仲が険悪になれば庸太郎としても都合がいい。ここはあえて何も言わずに立ち去るのが正解だ。
「空気が悪いから俺はお暇しようかな。いやあ、カメラに映らないだけで恐ろしい殺気だな」
やはり、旭をレイプしてしまったあの日感じたのと同じ気配だ。
庸太郎の胸の辺りに、この研究所と一条新に対する苛立ちがなんとなく残っていて、去り際にちょっとした嫌味を吐き出すことにした。
「あ、そうだ。旭、今日のアレ、ごちそうさま。旭はついに料理まで上手くなったんだな」
「なんで、お前が」
「崎原先生、外出だったから。せっかくの旭の料理を捨てるのももったいないと思って」
最初からそんな男じゃなくて俺のために弁当を作ってくれていたらよかったのに。早くそんな男のことは嫌いになってしまえ。
そんな思いを込めて旭を一瞥し、そのまま重苦しい空気の部屋から逃げ出した。この後、新は嫉妬したフリをして旭を誑かすのかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。
資料整理のため研究室に戻る廊下を歩きながら黙々と考える。
旭をレイプしたあの日、なぜ一条新があそこにいたのか。
そして何より、あの時の一条新は紛れもなく旭を守る側の人間だった。それが今になってなぜ急に旭やΩを見下すような人間になっているのか。
確か一条新はつい最近αであることが発覚しただけで、あの当時は自分をβだと思っていたはずだ。Ωへの差別感情が芽生えたのは自分がαだと分かってからのことだろうか。
あの男の過去や経歴についてもう少し調べたほうが良さそうだ。
「あれ、遅かったね。何かあった?」
研究室に戻ると、デスクに向かっていた研究員が呑気にそう言った。元はと言えば彼が旭の見張りを放棄しなければこんなことにはならなかったのに――そう言いたいのを堪える。
「篠原旭がエクササイズルームの物置で強姦されていました」
「ああ……本当は発情期以外は駄目なんだけど、まあよくあることだから。君も慣れないとここにはいられないよ」
「はい、日常茶飯事だそうですね。ところで、一条さんは弁護士だそうですが、どのようなご経歴なんでしょう」
堆く積み上がった紙の山から一部を手に取り、淡々と仕分けていく。研究員はキーボードのタイピングを一旦止めて「えーっと」と斜め上を見た。
「普通に法学部、法科大学院を経て、弁護士になっているはずだよ。最初は大手の事務所で企業相手に仕事をして結構有名になってね。その後確かその事務所は辞めたんじゃないかな」
「どうしてでしょう」
「さあ、母親の事務所に移動したらしいけど、結局その母上もあんなことになってしまって……」
一条新の母、一条瞳子が例のΩ毒殺テロの犯人を無罪判決に導いていたこと。彼女が世間の一部から恨みを買っていて、Ωに刺されて死んだこと。その後の検査で一条新がαであると発覚したこと。
一連の説明を聞いてすぐに納得がいった。母親をΩに殺されているなら、Ωを憎むようになって当たり前だ。
しかも母を殺したのはΩの男――旭にそいつをダブらせて憎んでいるに違いない。パズルのピースが綺麗に嵌まる感覚に、庸太郎は自分が名探偵になった気分で鼻高々だった。
それなら尚更、新と旭の仲を妨害せねばならない。徹底的なまでに。
そして旭の身体の秘密を早く解き明かし、彼をこの研究所から救い出すのだ。そのために最も効率がいい方法は、旭を妊娠させることだ。彼が妊娠する場合のデータが取れれば研究の大きな進捗になる。
そうこうしている内に、旭の次の発情期が近付いていた。
***
もし今月の発情期も一条新がラットに入らなければ、旭の相手は庸太郎がすることになっている。
林の研究室に呼ばれた庸太郎は、そこで一つの小瓶を渡された。
「催淫剤、ですか」
「そう、奴の避妊メカニズムが脳の状態によって起動しているなら、正常な判断力や意識を奪うことで機能しなくなるかもしれない」
庸太郎は何も言わずにそれを受け取ったが、内心この方針にあまり期待はしていなかった。なぜなら、庸太郎は篠原旭という人間の強さを知っているからだ。
どれだけ肉体に快楽を与えても、彼の心まで支配することはできないだろう。
一方で、旭は芯が強い故に折れる時はポッキリ折れるタイプだ。彼が両親を失って半年ダウンしていたように。
今旭の心を折れるもの――思い浮かんだのは一条新だった。
一条新に恋人がいるということは、他の研究員経由で旭にも知らされてしまっているらしい。しかし旭からあの男への好意は全く消える気配はなかった。
旭はどうしてあんな男が好きなんだ。
どうすれば旭はあの男を嫌いになるんだ。
あの男がいかに冷血な人間なのか教えてやる。
あの男は旭のことなんかこれっぽっちも愛していないことを証明してやる。
監視カメラ越しに、発情期が始まった旭と反応を見せない新を睨んでから、彼らの元へと向かった。
二重扉の向こうに一歩踏み入れるだけで、身体の奥がずくりと熱くなる。ダイニングから椅子を一つ持ち出して手早く寝室へと向かった。
「今月も駄目だったみたいだな」
ダイニングの椅子を壁際に置いて旭に近付く。
「旭、ゴールデンウィーク中に発情してくれてよかった。これより遅れると、俺も大学が少し忙しくなるからさ」
「誰もお前のスケジュール考えて発情してるわけじゃ――」
旭のそばにいた一条新を押し退け、ベッドの上の旭を抱き起こす。
「口、開けて」
旭が素直にいうことを聞くはずもなく、庸太郎は旭の顎を上げて口を開けさせると、林から受け取った催淫剤を彼の口の中に垂らした。
「苦……何だ、これ」
「いわゆる媚薬ってやつ」
「は!? そんなのなくても発情してんだろ。ただでさえ発情してるのにさらに媚薬って、馬鹿じゃねーの?」
「これにもちゃんと理由がある。今までの研究成果から得られた新しい試みなんだ」
「研究なんて……進んでんのかよ。俺には何も言わないくせに」
何も知らずにむくれる旭が愛しくて、その頬を優しく撫でた。
「旭の胎内も卵子もガードが固いんだ。知り合いの俺と媚薬の力で、旭が気を許してくれたらって作戦」
「……あほらし」
そんなことを言っていられるのも今の内だけだろう。
「一条さん。あなたはそこに座ってください」
部屋を出て行こうとしていた新を引き止め、壁際の椅子に座るよう促す。
「なんで、そんな――」
旭の言葉は無視して正面から新と視線をぶつけた。ずっと恐ろしいと思っていたそれに真っ向から対峙する。
「彼に特別な情がないと言うなら、問題ないですよね?」
半分は自信だ。奴はこの実験の進行を妨げるようなことはしない。
もう半分は嫉妬だった。旭から好意を寄せられているこの男への。
「嫌、嫌だ。アラタはあっちで待ってろ――」
「悪いけど、旭に決定権はないんだ」
新が椅子に座ったのを確認して旭を抱え上げる。新が正面に見える位置でベッドに腰を下ろし、正面を向くように旭を膝の上に座らせた。
「一条さんに旭の本当の姿、しっかり見てもらわないとね」
その時点でもう庸太郎の理性のほとんどが旭のフェロモンに喰われていた。
旭を犯したい。支配したい。辱めたい。孕ませたい。
無表情で座っているあの男が憎い。あいつに旭は俺のものだと見せつけてやりたい。
真っ黒な嵐の雲のように、欲望がとぐろを巻いて吹き荒れる。止められるものなど何もなかった。
旭のモノを白い下着の上から嬲って。
「旭のパンツ、濡れてきた。白って透けるとエロいよな」
濡れたそこを向かいの男に見せつけて。
「旭、ここキツいんじゃない? ああ、それとも旭の可愛いサイズなら全然キツくないのかな」
旭の膨らみを布越しに指で突いて、手のひらで揉んで。
「ほら、言わないと何もしないよ」
「嫌、だ。脱ぎたい。脱いで、触って……」
「旭、一条さんにも聞こえるように大きな声でお願いしてみてよ」
新を見つめる旭の思考を妨害するように、手の中の濡れた部分を強く扱いた。
「ゃ、待って……出る……出るから、ぁっあ……、は」
手の中で小ぶりなモノがビクビク震え、下着の生地をさらに濡らしていく。
かつて旭を犯したあの日と同じ、支配欲が満たされていく。もっと、酷いことをしてやりたい。
「うわ、ビショビショ。旭、こんなの履いてて気持ち悪くないの?」
もっと辱めたい。
「ちゃんと言って。『このお漏らししたグショグショパンツを脱がせてください』だからね」
もっと汚したい。
「このままもう一度パンツを汚すのはかわいそうだから、旭が脱がせてって言うまで待ってる」
再び張り詰めた旭のそこを放置して少し待つと。
「……は、っ……脱がせて……ください。パンツ、ビショビショで……また俺のココ、漏らしそうだから……早く」
勝った。あの旭が俺に懇願している。恥ずかしい言葉で。
脱力した旭の足を大きく開かせ、新に見せつけるように下着を剥ぎ取る。そいつを新に投げ付けてからベルトを外して前を寛げた。
「旭のココ、もう準備できてるよね」
わざわざ聞くまでもなく、旭の後孔は潤滑剤となる愛液を垂らしている。
庸太郎はガチガチになったモノを旭の入り口に擦り付け、旭の耳元で囁いた。
「旭、入れて欲しかったら、分かるよね?」
旭が悔しそうに恥じらう姿に全身が沸き立つ。
「入れて、庸太郎の大きいの……俺の中に来て」
落とせた。でも、もっと下へ堕とせるはずだ。
庸太郎は旭の中に自身を途中まで埋めたところで動きを止める。すると、案の定旭は自ら身体をよじって続きを求めた。
「早く、奥まで来て。いっぱい突いて、俺の気持ちいいとこ、めちゃくちゃにして」
あの強い篠原旭が、今はこの手の平の上だ。思い通りになりすぎてつい笑ってしまった。
「……だそうですので、一条さん。ヤッてもいいですよね」
目の前の男に目だけで訴える。旭に必要なのは俺だと。
「ちが、違う、俺は――」
「分かってる。Ωだから発情するのは仕方ない」
いやらしくてかわいそうな旭――汚れた彼の屹立を優しく撫でてやった。
「俺もαだから、こうなるのは仕方ないんだ。俺の理性もそろそろ限界……いや、とっくにぶっ飛んでるからこんな酷いことができるのかな」
でもこれは旭を助けるための行為だ。旭を妊娠させて、避妊の仕組みを解明して、二人で外の世界に出るために必要な行為だ。レイプではなく救済だ。
理性も躊躇いも消し去って、旭の奥まで思い切り突き立てる。それだけで旭の先端からは白い飛沫が散った。
「ほら旭、一条さんに繋がってるとこ見せて。そうすれば、彼もαの本能を思い出すかもしれない」
旭の足をぱかりと大きく開かせて、深く繋がった結合部分を見せつける。旭は嫌がったが、庸太郎は構わず下から突き上げた。
そこから先はがむしゃらだった。とめどなく溢れる旭の愛液で、激しい抽送と共にジュプジュプといやらしい音が響く。
「ふぁ、あ……庸太郎の、おっきいのが、俺の中、ぁっ、あ……気持ちぃ、から、もっと……」
まるで締めていたネジが外れてしまったかのように、旭が卑猥な言葉で煽ってきた。全力で前立腺を責め立ててやると、彼はビクビク痙攣しながらイッていた。
旭は完全に我を失っているが、それでも庸太郎は怖かった。目の前でじっと座っているあの男が。今は大人しくしている獅子も、いつこちらに飛び掛かってくるか分からない。
大丈夫、こいつは何があっても旭を助けない。邪魔をしてこない。
「旭のコレ、垂れ流しでもったいないね。一条さんにあげようか」
試してみたかった。何があっても手を出してこないか。
萎えることのない旭のそこを軽く握り、今にも発射しそうなその先端を奴に向ける。
「ゃ、だ……! 駄目、だ……っ」
旭の抗議は無視して軽く扱くと、ピュピュッと飛び出したものが弧を描く。床の上に落ちたそれを一条新は見ることもしなかった。
「残念。旭の気持ちは一条さんには届かなかったみたいだ」
どんなに助けを求めても、この男の心を動かすことはない。眉一つ動かさないのだ。
「だからさ、旭は俺にすればいいんだよ。旭が抱き締めてほしい時、俺ならちゃんと抱き返してやれるんだから」
誰にも取られないように旭の身体をきつく抱き締め、うねる内壁を勢いよく擦る。身体ごと全部持っていかれるような締め付けの中でスパートをかけ、旭の中に精を流し込んだ。
亀頭球のおかげで抜ける訳はないのに、正面に座る男が二人を引き剥がしに来るんじゃないかと警戒してしまう。ドクドクと吐精し続けながら、大丈夫だと自分に言い聞かせた。
「旭は、毎月違う男と実験をしてきたって聞いたんだ。つまり、全員一回きり。今この世界で旭と二回セックスしたことがあるのは、俺だけってことだよな」
そうやって少しでも優越感を得ていないと頭がどうにかなりそうだった。今も確かに旭と繋がっているのに、彼の中が自分を拒絶しているような気がして。
「旭、好きだよ。旭が種付けされてるところ、一条さんにしっかり見ててもらおう」
まだ固いモノを旭の中にぐっと押し付け、彼の下腹部を撫でる。優しく愛撫してこの愛情が伝われば、彼に受け入れてもらえるかもしれない――ただその一心だった。
しかし亀頭球が萎んでいくのと同期するように、庸太郎の希望的観測は不安や焦りに変わっていく。旭の中から自身を引き抜くと、途端に空虚な感じがした。
おそらく今回も旭は妊娠しないだろう。心のどこかでそれを察知していた。しかし嫌な予感を振り払うように、旭をベッドに横たえて微笑みかける。
「今夜は一晩中旭の相手をしていいって言われてるんだ。旭の発情に合わせて朝までずっと……仲良くしよう」
庸太郎が衣服を脱ぎ始めても、旭の意識は椅子に座った一条新に向けられている。思わず彼らの間を妨害するように旭へと覆い被さった。
「旭はそんなに一条さんが気になるのか?」
旭が俺を受け入れてくれないのはあの男のせいじゃないか?
あいつさえいなければ。
旭があいつを嫌いになってくれれば。
「なあ、彼は母親も弁護士だってことは聞いてるか? 一条瞳子さんって言うんだけど」
気が付いたら勝手に口が動いていた。旭の髪をサラサラと撫でながら、彼の心をへし折る気で先を続けた。
「君の両親を殺した事件の犯人――あの男を裁判で無罪にした弁護士が、その一条瞳子さんだよ」
期待通り、旭の中の何かが壊れたようだった。
大丈夫、俺が抱き締めてあげるから。
傷付いたところが再生するまで癒してあげるから。
ガラス玉のような瞳をした彼を包み込んであげると、健気に抱き付いてくる。彼の意志によるものではないと分かってはいたが、求められるがままに彼の全身を愛してやった。
***
また理性を失ってやらかしたらしい。
庸太郎がそう自覚したのは、旭のフェロモンで充満した部屋を出て、コミュニケーションルームでしばらく休んだ後だった。
勝手に一条新の秘密をバラしてしまった。旭が奴を嫌いになってくれるならこちらとしては大成功だ。
しかし、あの男の方はそうはいかない。嫌がる相手と無理矢理するのはαの負け、セックスする前にΩを落としたい――確かにそう言っていた。旭に嫌われてそれらの計画を実現できないとなれば、あの男は研究への協力を打ち切るかもしれない。
そうなった場合、原因となった庸太郎はこの研究所を追い出されるだろう。何せただのインターンなのだから。
溜め息を吐いたところで、二人の研究員がやってきた。
「お、どうだった? あのΩの味は」
「麻薬みたいに脳がぶっ飛ぶだろ」
彼らの反応からするに、どちらも過去に旭の相手をしたことがあるようだ。
「ええ、六年半前にも一度しているので分かってはいました。理性がなくなって、とにかくめちゃくちゃにしたくなる」
後悔するのは分かっているのに、あの匂いの中にいると後先のことは考えられなくなってしまう。本能が引き摺り出されるような感覚だ。
「心配するな。あんなフェロモン出してるあいつが悪いんだ。こっちは狂わされる被害者だよ」
確かにそうだ。こちらは意に反してΩにおかしくされたのに、酷くした後でΩから責められるのは理不尽じゃないか。
「林主任にも途中で一回報告を入れたけど、中宮君のやり方に頷いてたよ。奴の避妊システムを止めるには、確かにあれくらい思い切ったことをすべきなんじゃないかって」
それを聞いて少し安心した。彼らは一条新の実験より旭の実験に重きを置いている。これでもし一条新がここを去ることになっても、そう責められることはなさそうだ。