アラタの服を新居に運んだその日の夜、二人並んでソファに座りテレビを付けると、ちょうど何かのドキュメンタリー番組が始まるところだった。
『……火山の噴火によって発生した氷期により、かつて人類は絶滅の危機に瀕しました。当時の人類は皆現在のβに近く、現在の我々に匹敵するほど文明を発達させていたと言われていますが、二千年ほど続いた氷期を境にして多くの情報が失われてしまいました。現在の学説では、この時代にαやΩといった新しい繁殖方法を持った新人類が誕生し、その絶滅の危機を乗り越えたと考えられています』
凍りついた地球のCGと共に、落ち着いた男性ナレーションが解説している。
「正月だっていうのに随分真面目な番組やってんだな」
「公共放送は大体いつもこんな感じだ」
「そうだっけ。ニュースばっかやってる危険なチャンネルってことで避けてたからもう忘れた」
ぼーっと見ていると、仰々しいタイトルからスタジオへと映像が切り替わる。アナウンサーなのか俳優なのか分からないが、男女二人が座ったまま「こんばんは」と頭を下げた。
『さて、今夜は「αとΩ、種の生存を賭けた人体の仕組み」と題して特集します』
『つい最近も、Ωを対象とした製薬会社の実験手法が問題視されていますが、αやΩに関してはまだまだ分からないことが多いですよね』
スタジオ部分は生放送なのだろうか。唐突に自分に関わる話が飛び出してぎくりと固まる。
旭の緊張を察したかのように、隣からアラタの腕が伸びてきて肩を抱かれた。大丈夫、嫌なことは何も言われないから——そう安心させるように。
テレビ画面はすぐにスタジオからVTRへと移行し、αやΩの身体がCGで表示された。
『たとえばΩは発情期の性交が刺激で排卵する交尾排卵で、これは猫などにみられる仕組みです。一方αの性器にある亀頭球、これは犬などの動物に近いものです』
解説と共に表示されるのは全てCGによる生殖器だ。科学目的の真面目な番組とはいえ、やはりここで実物を出すわけにはいかないのだろう。しかし猫の発情シーンや犬の交尾シーンは実写映像が流されるのだから不思議だ。
『Ω男性が出産と排泄に同じ出口を使うのは、鳥類の総排泄口に近く、またΩの出産時に胎児を覆う薄い膜ができるのは、魚類や両生類の卵を思わせ——』
旭もΩだが、妊娠出産に関しては完全に他人事だった。こうして解説されれば確かに、Ωは繁殖のために進化した存在なのだろう。
『さらに番になった後の行動も非常に独特です。発情したΩは番のαの匂いを求めるようになるのです。主に衣服等の布類をたくさん集めることから、鳥の巣やミノムシのミノのようだと言われています』
画面の中では、可愛らしくデフォルメされたΩが大量の服に包まれてぬくぬくと頬をピンク色に染めている。それとは正反対に、旭の顔は真っ青だ。
誰にも言わず隠そうとしていたあの行動が、実はΩの習性として周知の事実だったなんて。隣のアラタから何となく注目されているような気がするが、恐ろしくて彼の方を見ることができない。
『原因はまだ分かっていませんが、匂いで番本人の代替としているという説、番の匂いを自分自身にマーキングすることで他のαを遠ざけているという説など——』
このままではマズい展開になると、旭の本能が告げている。腰を浮かそうとすると、肩に回っていた彼の手にグッと引き留められてしまった。
「旭、今の話——」
「俺ちょっと……」
そこで言葉がつっかえる。寝るにはまだ早い。トイレはついさっき行ったばかり。風呂に入ると言えば絶対に彼もついてくる。
そんな旭の窮地を救ってくれたのは、テレビのナレーションだった。
『もっともこれらには個体差があり、こういった巣作り行動をしないΩもいると言います』
「あ、あー……俺このタイプだ。うん」
安堵しながら頷く旭を、アラタの暗くて鋭い眼がジッと見つめる。
「何だよ、その目は」
窘められると、彼はフイと目を逸らした。
「……つまらない。巣を作る旭が見たかった」
「悪かったな。お前のお気に召す性質じゃなくて」
嘘をついたのは自分のくせに、彼の「つまらない」という一言がチクリと刺さった。そんな旭の機嫌の変化を感知したかのように、アラタの手が頭を撫でてきた。
「旭は悪くない。巣を作る旭も作らない旭も、どっちでも変わらないくらい好きだ」
彼がどれだけ愛してくれているかは、言われなくてももう分かっていたはずだ。変なことを言わせてしまった申し訳なさで、無言の「ごめん」と共に彼の肩に寄りかかった。
「しかし好きだからこそ旭の色々な姿を見たいと思うのは、おかしな考えだろうか……」
てっきり「いや、おかしくない」と続く反語なのかと思ったが、どうやら彼は本気で考え込んでいるようだ。
どうしたものかと迷っている間に、テレビ画面はΩからαの説明へと移っていた。
『一方αは、番となったΩの発情中や妊娠中、他のαを寄せ付けないよう非常に警戒心を強めるとされていますが、見られる行動は個体ごとに様々です』
これは少し興味深い話だ。考察モードになっているアラタを放置して意識をテレビに向けた。
『他のαに攻撃的になる者、Ωに対して過保護になる者、Ωに甘える者——』
どれも全部、番になる前からアラタが見せていた行動ばかりだ。彼の溺愛ゲージは最初からカウンターを振り切っていたため、番になる前後で差異が分からないのかもしれない。
さらに続きを見ようとする旭の耳に入ってきたのは、テレビのナレーションではなくアラタの声だった。
「旭、いいことを考えた」
「俺は悪い予感がする」
旭の即答はすぐに的中することとなる。
***
「あのなあ……」
寝室のベッドの上に座り、旭は特大の溜息をついた。アラタは旭をベッドに連れてきたかと思ったら、今日ボストンバッグで運んできた衣類を全部旭の上にひっくり返したのだ。
頭から彼の服に埋もれた旭を、彼は満足気に眺めている。
「疑似巣作りによって旭の巣作りを観測することができる」
巣作りごっこなど馬鹿げている。しかしどこか楽しそうなアラタに水を差すのもかわいそうだ。むしろ彼を楽しませるために少しくらいサービスしてやってもいいかもしれない。
大量の服を被ったままドサリと横になった旭は、彼に見せつけるように服をぎゅうっと抱き締めた。あの発情期にしていたのと同じように、彼の服に顔を擦り寄せて匂いを嗅ぐ。パフォーマンスでわざとやる分にはそこまで羞恥心はない。
さて彼の反応は——チラリと服から目だけを上げると、すぐそばに仏頂面の彼が立っていた。
「面白くない」
「は?」
「俺の場所を取られた」
彼は旭の抱いていた服を没収し、さらに周囲に散らばった分も全部ベッドから回収していく。
「おま……自分の服に嫉妬してんのか!?」
ポイポイとボストンバッグの周りに服を放った彼は、旭の隣に寝転がって抱きついてきた。まるで自分の居場所を取り戻したぞと言わんばかりに。
「おい」
声をかけても彼は無言だ。自分の機嫌が直るまでしばらく動かないつもりだろうか。抱きぐるみにされたまま、彼の脇腹をつねってみる。
「俺が巣作りしないのが面白くない、巣作りしても面白くない、ならどうすればいいんだよ」
「こうしているのが一番いい。巣はいらない」
それは奇しくも今日の夕方に旭が考えたことと全く同じだ。彼は旭のうなじに残る跡を唇でそっと撫でた。
「じゃあ俺の発情期中はずっと見張ってないとな」
「? 旭は巣を作らないタイプなのに?」
言ってしまってから「しまった」となるのは、今日で何回目だろうか。
「あ……、そ、そうか。うん、そうだった」
なんとか誤魔化そうとするが、アラタの疑いに満ちた眼差しはしばらく旭に纏わり付くのだった。
巣作りネタのおまけでした。
受けの巣作りを見た攻めの行動としてはやっぱり「受けが俺の服でむふふ」って喜ぶべきだと思うんですが、アラタはダメでした。
このオメガバース世界の設定は色々考えてあるのに出せてない状態なので、テレビ番組の解説としてちょこちょこ入れられたのは楽しかったです。
Ωは発情期の性交によって排卵するということにしたので、この世界のΩには生理はありません。